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賢いやつら

「はい。今回も進行は見つかりませんでした。でも油断は禁物ですよ。今日もいつものお薬出しときますから、きちんと飲むように。薬さえ飲めば大丈夫なんでね。では、お大事に」

 私はそう言って、患者の診察を終えた。患者が診察室から出ていく。その姿を見ていると、つい笑みがこぼれてしまった。

「なんて簡単な人生なんだ。うまくいきすぎてつまらない。患者のやつら、医学のことなんかこれっぽっちも勉強しないもんだから、医者の私が言うことはなんでも鵜呑みだ。まったく疑うことを知らない。適当に何か発病していることにして、必要のない薬を買わされていても誰も気づかない。分かるはずもない。いい商売だよ」

 気をよくしていると、診察室の扉がコンコンとノックされ、看護婦の一人が入ってきた。

「院長、失礼します。ご来客がきていますわよ。いつもの」

「あぁ彼か。今行くよ」

 まぁ、そんなことを思いつくやつらは私以外にもたくさんいることだろう。なにせ医者は頭のいいやつが多い。それに親のすねかじりで裏口入学したり、金で入学資格を手に入れるような悪党もいるのだからな。

 しかし、私はもっとずる賢い。そいつらよりも用意周到だ。この悪事は、金の動きに細心の注意を払わなければいけない。異常な儲けが国税庁にバレたら一巻の終わりだ。だから、私は税理士を雇った。もちろん彼には私の悪事を伝えてある。金さえ渡せば仲間にするのは簡単だった。

 病院の裏玄関には、スーツを着た男が立っていた。

「やぁ、ごくろう。またひとつよろしく頼むよ」

 彼に礼を言うと、私は男の胸ポケットに札束を突っ込んだ。スーツの男は言う。

「院長、お疲れ様でございます。いつもありがとうございます。税のことは私にお任せください。国にバレないように調整しておきますので。いくらでもやり方はあるのですよ」

 金を渡して、私は病院の中に戻っていった。会話をしているところを見られるとやっかいなので、いつもこうして業務的に終わることにしている。我ながら、抜け目がなさすぎて怖いくらいだ……。


 俺は胸ポケットの札束の厚みを確認する。この感触がたまらなく好きだ。ほのかに香る紙の匂いも、俺の気分を高揚させてくれる。俺は、札束をバッグの中の内ポケットに丁寧にしまった。

「はぁ、税理士は最高の仕事だな。金儲けで悪さしようとするやつらはたくさんいるから、こうしてたんまり稼ぐことができる。それにやつらは気づいてないだろう。俺が存在しない税の名目で、売り上げから金をちょうだいしていることも。やつらは税のことを知ったつもりでも、本当はこれっぽっちも詳しくないからな」

 俺は、あえて病院から少し離れたところに停めていた真っ白なスポーツカーに乗って、病院をあとにした。定期的に高級外車が停まっている病院なんて怪しすぎるからだ。

 車で向かったのは馴染みの紳士服店。俺の仕事は一に信用、二に信用だ。相手の印象は、顔を合わせた次の瞬間には決まっているから、身なりには特に気をつけている。

 この店で仕立てるスーツは、俺好みのいわゆるホンモノだ。素材から何からそこらのスーツとは違う。違いが分からない残念なやつらでも、ハッとさせられる上品さがある。店に入るなり、顔見知りの店長がすぐに俺に気づいて声をかけてきた。

「いらっしゃいませ。お待ちしておりましたよ。仕上がったオーダーメイドスーツのお引き取りでよろしかったでしょうか? 」

「あぁもちろんそうだよ。早く見せてくれ」

「かしこまりました。少しお待ちください」

 そう言って店長は、店の奥にあるスタッフ専用ルームからスーツを一着持ち出してきた。

「こちらです。今回はクラシックな風合いがご希望とのことでしたから、生地には特別に天然の……」

「うん、いいじゃないか。この手触りも最高だ。良いものでつくらないとこうはならない。とても気に入ったよ」

「ありがとうございます。では、お会計はあちらのレジで」

 俺はさきほど医者にもらった金で、さっと会計を済ませた。

「ありがとう。またお気に入りが増えた。明日は古株の大事な相手だから、新調したこのスーツで向かうとするよ」

「こちらこそありがとうございます。ぜひ、今後ともごひいきにしてください」

 店長が店先まで出てきて、深々とお辞儀をする。それを背中に感じながら、俺は愛車のスポーツカーに乗ってアクセルを踏み、洒落た市街を走りだした。街ゆく人が俺の車の横切るのを見て振りかえる。金もあって身だしなみも一級品。こんなにイイオトコは街のどこにも見当たらない。俺のほかには……。

 税理士の客が真っ白なスポーツカーに乗って出ていくのを見届けると、私は店内に戻って一息ついた。

「あぁ、なんていい商売なんだ。人の目はほんとうにあてにならない。なにがいいものでつくらないとだよ。そこいらの安いスーツと同じ素材さ。おかけでうちは大儲けだ。もう何百着とさばいてきたが一度だってクレームがきたことはない。アホなやつらばっかりだ」

 夜になり、店の営業が終わると、今日は行きつけのビストロに向かった。こんな粗雑な商売をしているが、私自身はこだわりが強い人間だ。特に食事に関しては人一倍気を使っている。

 生きるためには何かを食べねばならない。どうせ食べるのなら、美味しくて良い食材を口にしたいではないか。食事に金をかければ、人生は豊かになる。

 職場から少し歩いたところにあるこのビストロは、若い頃からずいぶん通っている店のひとつ。いわゆる常連客というやつだ。

 この店の料理は食材がどれもこれも面白い。マスターが実際に現地で確かめて、気に入ったものだけを仕入れているそうだ。だから色んな国の高級食材や珍味を楽しめる。そのぶん値段は少々高いが、そんなコースは他では味わえないので妥当なところだ。

 店の扉を開いて、マスターと目を合わせると、私はいつも座る右奥のテーブル席に腰かけた。マスターが私に言う。

「いらっしゃい。今日はどうする? 」

「そうだな。今日はマスターのおまかせってのはどうかな」

「ふむ、なるほど。そんな夜もいいね。じゃあおまかせくださいな」

 マスターが一品目の料理を運んできた。

「やぁうまそうだ」

「まずこれは前菜の盛り合わせ。一番左にあるのが、チーズ界のダイヤモンドと呼ばれるドイツのナチュラルチーズを、五年熟成の生ハムで巻いたもの。その上に刻んだ地中海産のオリーブを……」

 そのような感じでマスターおまかせのコース料理が続いた。

「これはA5ランクの黒毛和牛一頭からほんの数グラムしかとれない幻の……。これは本場フランスの品評会で最高の評価を得た、つまり世界一のワイン……」

 今夜も満足のコースだった。最後のフルーツも食べ終わり、食べた料理をひとつひとつ思い出しながら、私はコーヒーを飲んでいた。料理を終えたマスターがキッチンから出てきて、私に声をかける。

「やぁ、どうだったかな。正直な感想をくれよ」
「最高だったよ。世界中を旅した気分だ。さぁ、今日はそろそろ帰るとしようかな」

 値段を確認すると、いつもより少し高いかなと思った。だが、今日はあのスーツでたっぷりぼったくったからなんとでもない。私はカードでスマートに会計を済ませた。

「じゃあ、また来るよ」

「あぁ、またいつでもきてくれ。毎日でもかまわないのだけど。君の奥さんの料理よりうまい自信はあるからね」

「そんなの当然じゃないか。そうしたいのはやまやまなんだがね」

 しばし談笑したあと、私はビストロを出て家路についた。家の明かりはまだ点いていた。妻が起きて待ってくれているのだろう。

 きっと彼女は「何を食べてきたの? 」なんて聞いてくると思う。だが詳細は話さない。私があれほどいい店で、時々贅沢を楽しんでいることは妻には秘密なのだ……。


 常連の客が帰っていった。彼はいつもビシッと決まったスーツを着ている。そういえば、前に話したときに紳士服店を営んでるとか言っていたか。

 きっと自分では、こだわりがあってセンスはいい、自分の感性には絶対に間違いがない。と、自負しているようなタイプに思える。

 ファッションセンスについては確かに間違いないだろうが、舌に関してはどうだろう。ウチに通っているということは、たいした味覚ではなさそうだ。

 だが、ああいったのがいてくれることで私の商売は成り立っている。料理に使っている世界の高級食材なんて真っ赤なウソだし、もっといえば私は日本から出たことがない。食材はどれも近くの大型スーパーで用意したものだ。

 適当に貴重そうな謳い文句をつけて提供すれば、やつらは旨いだのやっぱり違うだの勝手に言い始めて、ありがたがる。私はその感情に対して不自然にならぬよう、きちんと高額な料金を請求してやるのだ。

「楽な商売だ。うまくできすぎて恐ろしいくらいだ。一つだけ辛いことと言ったら、やつらのえせグルメぶりを腹を抱えて笑えないことくらいだな」

 今日は紳士服店の男以外にも、何人かの客がやってきたので、たんまり金をかせぐことができた。明日は休みだから、久しぶりに外食でリフレッシュするとしよう。

 断っておくが、私はウチに来る常連客どもとは違う。私の舌は本当にいい味でなければ満足しないのだ。メディアで取りあげられるような有名店は全て行ったし、あまり知られてない隠れた名店もたくさん知っている。

 そんな趣味もあるから、私は自身の健康管理を徹底している。贅沢三昧で早死にしては、全く意味がないからだ。

 案の定、いつだか医者にかかったときに病気が見つかってしまった。幸運なことに早期発見だったから、飲み薬だけで進行を抑えることができるらしい。明日は朝、定期検診の予定だ。薬はかかさず飲んでいるので、今回も心配ないだろう。良い結果をもらって、また心置きなく豪華な料理を楽しもうではないか。

「あぁ、最高の人生。世の中マヌケなやつらばかりでありがたい……」

「はい。今回も進行は見つかりませんでした。でも油断は禁物ですよ。今日もいつものお薬出しときますから。では、お大事に……」

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