パブリックヘルスとは?

自分自身のこれまでの歩みとパブリックヘルスとの出会いを振り返りたくなりました。個人的な話が中心となり、chatGPTに校正してもらって仰々しくもありますが、よければお付き合いください。

幼少期:格差を目の当たりにした経験
私が初めて「格差」というものを意識したのは、小学校時代、父の仕事の関係でインドネシア・ジャカルタに4年間滞在していた頃です。日本人学校に通う日々では、日本人であるというだけで、運転手やお手伝いさんがいる暮らしが当たり前という環境でした。一方で、車での移動中には物売りをする現地の少年たちや、物乞いをする人々の姿が目に飛び込んできました。毎日のように触れるこの現実が、私の心に「なぜこんなに差があるのか?」という疑問を植え付け、今に続く「格差」への関心の出発点となりました。

思春期:孤独と適応
帰国後、中高時代は男子校に通い、父が単身赴任、兄が下宿したため母との二人暮らしとなりました。しかし、母は精神的に落ち込むことがあり、私自身も日本の生活になじめず孤独を感じることが多く、内向的になっていました。

大学時代:人とつながる喜び
大学入学を機に上京し、体育会系の男子学生寮に入りました。そこでは良くも悪くも濃密な人間関係を経験し、飲み会や学祭、サークル活動など、初めて味わう青春らしい日々を送りました。この時期、成績は少し落ちましたが、メンタルヘルスは格段に向上しました。今でも続く友人との絆は、私の大切な財産です。
さらに大学時代には、病児家族の滞在施設でボランティア活動を行いました。病院での緊張感から解放されるこの施設で、家族がほっと一息つける様子を見て、「医療は病気を治すだけではなく、支える人(家族)も一緒に守っていくものなんだ」と深く感動しました。この経験が、医療や健康に対する私の視点を大きく広げてくれました。

大学生活を通して友人や家族など人と人とのつながりが健康に寄与することを実感し、それを客観的に数値で示せるようになりたいと漠然と思っていました。

家庭医療との出会い
さらに、家庭医療を専門とする恩師との出会いがありました。その先生は医者の権威主義を嫌い、白衣を着用せず、下町を愛し、地域住民とフラットな関係を築く活動をされていました。このような医師の姿勢に深く感銘を受け、医療における患者との関係性の重要性に気づきました。

医師としての経験とパブリックヘルスへの想い
医師となってからも、健康の社会的決定要因に対する関心は続きました。たとえば、引きこもり状態で医療を受けず、病気が進行してからようやくアクセスする人や、精神疾患に対するスティグマにより内科疾患の診断が遅れる人々などに対応する中で、社会や家族とのつながりが健康に与える影響を実感しました。
また、高齢化社会では意思決定能力が十分でない患者が増加し、家族との協力が不可欠な場面が多いことを体感しました。また、医師と患者の関係性が良好であったケースとそうでなかったケースでの治療の違いを経験する中で、「どうすれば、患者さんとのつながりをもっと良くできるだろう?」と考えるようになりました。

そして幸運にもSPHでパブリックヘルスについて学ぶ機会をいただき今に至ります。

現在の展望
こうして振り返ると、私が大切にしているのは「人と人とのつながり」、特に「医師と患者のつながり」がどのように健康に寄与するのかを明らかにすることではないかと思います。そして、そのつながりは権威的な上下関係ではなく、対等でフラットな関係であるべきだと強く感じています。

結論
パブリックとは、一部の富裕層や特権的な人々を指すのではなく、老若男女すべての人々を含むものであり、パブリックヘルスとは、すべての人が健康である社会を目指すものだと確信しています!

#パブリックヘルス  

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