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ロングツーリングの記憶−18 山寺の思い出

文章でロングツーリングの心の風景を書く試み。
今回を含めてあと3回です。
ロングでしょ。ポテロングより長いね。

ある年の5月連休、神奈川を出発して、宗谷岬を経て走り続けたわたしは、青森、秋田と走ってきて、今日は山寺。山形県です。

北海道で父方の祖父母にお世話になった私は、
母方の祖父のことを思い出して、山寺へ。
青森から秋田へ南下しながら、山寺へ行きたいな、と思っていた。

これまでのお話はマガジンから読めますのです。


今日は、走るというより山寺の階段やね。

*   *   *


内陸の方へ走りに行きそのたびに冬期通行止めによって戻ってくる、ということを繰り返した。爽やかな晴天であっても、山の中はまだ冬からゆっくりと目を覚ます途中にあった。もう3000キロ近く走り続けている。

地図に目を落とし、ただ道路を走り続けてきた私は山寺に寄ろうと思っていた。自分の足で1000段といわれる階段、時間をかけて登ってこようと。こんなに走り続けていると身体が変に凝り固まってしまっている。歩いてみるのもいいだろう。

そうして山寺へやってきた。
ほんとうは立石寺というようだ。



ずっと昔
母方の祖父が存命だった頃
旅行の付き添いという名目で来たことがある。
このツーリングより10年以上前のことだ。

祖父は足が悪く
山寺の山門まできたものの、階段を登ることを諦めた。
無口な祖父はそれ以上のことを言うでもなく
椅子に腰掛けていた。

私は黙って祖父の横に座り
他の人が「いやあ大変だった」と言いながら
戻ってくるのをただ見ていた。

当時
人の流れを見ていると退屈とも感じなかった。
その間、祖父とはほとんど会話をしなかった。
「ねえねえ、階段はきっと大変だよね」
「そうだねえ」
「でもさ、みんな行くんだね」
「そうだねえ」
その程度のことだ。


祖父は頭は切れたが
美意識やこだわりとなると
どうにも不可解な人だった。
きっと当時も
わざわざ階段を登って
景色を見たいとは思わなかったのだろう。

孫はこの先の階段を登っていけるのに、
自分のために上まで登らず、
一緒にとどまることを気にしていたのだろうと思う。
祖父の横でただ座る、という選択をした私のことを
どう捉えていたのか当時は聞けなかった。


煙は天へのぼっていく。
その天に少し近いところで
祖父の見られなかった景色を見た。
まさか、
10年以上経って
ごつごつのプロテクターの入った格好で
再びここへくるとは思っていなかったけれど。

やはり
この景色を見たいと思ったのだろうか。
ここでしか見られない景色。
たしかにその通りだ。


この目で何が見えるかを確かめて
自分の中にあったわだかまりが消えたのか
というとそうでもない。

自分の心の引っかかりを解消するために
ちょいとここらへ寄ったのだ、ということも
何やら理由が薄っぺらい気がしていた。


階段を一段ずつおりる。

山門まで下りてきて、
自分の来た道を振り返る。
なかなかに大変な道のりだったなと思う。

振り返った私は探している。
目線の先に
祖父がいないか探している。

そこに座っている祖父と
隣に座っている10年以上前の私とを
今の私が探している。


バイクに乗って走ることは何に繋がっているのだろう
と思いながら私は駐車場へ戻った。


蔵王温泉へいってみようと思いキーをひねる。
エンジンは疲れを知らない。


最後までご覧下さいましてありがとうございます。またお越しくださるとうれしく思います。