しんしんと降る
「ほら、雪が降ってるねぇ」
「ゆき、ふってる」
「雪が降ってるねぇ。しん、しん、って。ね?」
「うん、ゆき、しん、しんって!」
暗くなった窓を眺めると
灯りに照らされて
車内の様子が映る。
列車のクロスシート、
向い合せの背もたれを隔てて
前に座っている親子連れの姿が
窓に反射して映っている。
母親と子供。
子供は毛糸で編まれた帽子を被っている。
自らの吐く息で白くなった窓を
短い指でなぞっている。
「しん、しんって、ふってるね!」
母親がたしなめる。
「こらっ、
そんなことして、袖まで濡れちゃうじゃない。
ほら、ちゃんと拭いて」
「しん、しんって、ふってるね!」
子供は
ハンドタオルで母親が拭う片手をされるがままに
いま覚えたばかりの言葉を繰り返して
窓に映る母親を見上げている。
雪が
ひとの都合とは関係なく
空から落ちてくる。
音もなく落ちてくる。
落ちてきた雪は
道にも屋根にも平等に積もってゆく。
しんしんと。
列車の内側から見ると
雪は
街灯に照らされて白く降り
踏切に照らされて赤く降る。
踏切は警報音で
音のない世界を唐突に終わらせて
知らない顔で向こうへ遠ざかっていく。
冷気がそろそろと
窓から列車のなかへ忍び込んできて
気持ちまでじっと硬くなる。
硬くなる気持ちに降る雪が
私の世界と外の世界とを
隔てるように思える。
そして
音もなく落ちてきた雪は
列車を止めて
行く先を塞いでしまった。
「…この先雪のため、線路の安全確認を行っております…
停まった列車から見える勾配標の数字は
雪に埋もれつつある。
そのあいだ
時間が一刻一秒と
音もなく積もり続けている。
それは、雪とは違う。
冬でなくとも、時間は積もり続ける。
音のない時間に周りを塞がれてから
ぐるりと眺めてみて
人は初めて「あっ」と気づくのだ。
わたしは窓に息を吹きかけ
曇ったところを指でなぞった。
水滴が加速度をつけ
窓の桟を目がけて落ちていく。
時間は
誰の都合とも関係なく
積もり続けている。
列車は動かないままだ。
…しん、しん、と、降る
ひとつ前のシートに座っている子供は
静かになっていた。
いつの間にか寝てしまったんだろう。
窓に反射する母親が
ゆっくりと左右に揺れている。
その間にも
時間は音もなく降り続ける。
雪が降る間
時間はわたしにも母親にも、
子供にも等しく降る。
「…お客様にお知らせいたします。
ただいま、線路の安全確認が取れました。
この列車は、定刻より30分ほど遅れて発車いたします…
車掌の放送は
間違いなく聞こえるよう音が大きく
同じ内容を繰り返しているうちに
子供が目を覚ました。
起きた子供を抱え直している母親の様子を
窓越しに眺めていると
シートの上から顔を出す子供に気づいた。
こちらを見て、指を動かしながら
「しん、しんって、ふってるね」
と言った。
名前も知らない君に降る
これからの時間が豊かであるように、
と気持ちが動いた。
できることなら、わたしに降る時間も
豊かであることを。
列車が動き出した。
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冬ピリカグランプリへの参加作品です。