ロングツーリングの記憶ー15 大潟で見たもの
文章でロングツーリングの心の風景を書く試み。
ある年の5月連休、神奈川を出発して、宗谷岬まで行った私は本州へ戻った。青森から秋田へ入りましたよ。
いい絵が見つからなくてごめんね。
これまでのお話はマガジンから読めますのです。
noteでっ!
自粛せずにっ!
ゴーツートラベルでござる! …の術!
* * *
干拓地とはどういうものだろうか。
昔に習ったきりで
どういうものか知らないままだ。
少し寄り道をしてみようと思った。
そして、思いがけず見つけた。
県道298号線。
一直線の道に沿って
道の向こうまで続く菜の花と桜。
やった。
大潟で見つけた。
独り占め。
まさか。
道の脇にはアイスを売る女性たち。
地図にも載っていて
見物人は私のほかにもちらほらいる。
そうは言ってもわたしが走った当時
ツーリング雑誌にもフォーカスされず
仲間うちでも話題にならず
噂にも聞いたことのない場所に来た。
やった。
独り占めした気分だ。
宗谷岬から南へ走ってきて、
季節を冬から春へ動かした。
ああ、春だ。
道と菜の花と桜。
そうか。
私はこの景色に会うために
走っていたのか。
平滝沼では
心静かに自分の内側を見るという
感じだった。
心静かに、とは。
大きな音もなく
落ち着いて穏やかに。
廃村跡という履歴が
そうさせたのかもしれない。
ずっとずっと前の、人の残り香。
遠回りして、私にも春が来た。
ここまで来られて良かったと思う。
広めの路肩にバイクを止める。
春のにおい。
花を見るうれしさは、ここが格別だ。
直線道路数キロにわたって桜と菜の花と。
ここに風が吹けば言葉を失う花吹雪になるだろう、
と想像して立ち止まる。
しばらく力が抜けたように立っていた。
「風景といふものは、……
謂はば、人間の眼で舐められて軟化し」
太宰治は確かにそう言った。
しかし
そうやって軟化して
人の手垢にまみれたとしてもだ。
見る人たちの感性に触れる
心地よい風景というのがある。
たくさんの人の評価に耐えて
まだそこにあり続けるものには
心動かされる。
私はそのように思う。
菜の花と桜並木。
春と言ったとき
これ以上分かりやすいものはないだろう。
そして
この風景を見れば誰であっても目を見張るだろう。
それが心動かされるということだ。
それが風景の力だ。
人が自然を配置して
風景をつくったのだ。
この思いがけない出会いは
私にとって
強く心に残るものとなった。
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