ロングツーリングの記憶−20 ただいま
文章でロングツーリングの心の風景を書く試み。
長かったね。
たぶん、ロールちゃんの耳より長かったね。
ある年の5月連休、神奈川を出発して、
宗谷岬を経て走り続けた私は、
青森、秋田、山形、新潟と走ってきたのでした。
ひとりで走ったことで、
いろんなことに思いを馳せることができたように思います。
これまでのロングツーリング履歴はこちらから。
ただいま。
* * *
富士山の表側
西から東へ向かって太郎坊をいつも通りに走る。
帰ってきたな、という思いを強くする。
左の肘を折りたたむようにタンクへ乗せ
腰の中心をシートの外側までずらし
力を抜いて
頭のてっぺんと尾てい骨のあたりとリアタイヤの接地点が
一直線に繋がるような感覚でコーナーを曲がる。
タイヤに体重をあずけてつぶしていく感覚。
私はそんなに右コーナーを苦にしていない。
ああ
とうとう帰ってきた。
無事にここまで来ることが出来た。
余裕がでてくると、頭の中で音楽が流れてくる。
懐かしいブルーハーツ。
見てきたものや聞いたこと
今まで走った全部
でたらめだったらおもしろい
そんな気持ちわかるでしょう
歌の文句を勝手に変えて
頭の中で繰り返しながら走る。
どうしてそういうフレーズが頭の中に出てくるのだろうか。
私の性格がそうさせるのか。
昔から斜に構えたようなところがある。
結局
今まで3000キロ以上ものあいだ
走ってきたことは何なのか。
コーナーをさばきながら頭のなかは落ち着いている。
でたらめだ、と思うのも解釈のひとつであって間違いではないだろう。いずれにしても走ってきた履歴は確かに残るのであって、それを辿って
何もないところへ来てしまった
のであれば、それはその人の考え方なのだ。
心のありようによって幾通りもの解釈があり得る。
三島由紀夫の「天人五衰」の結末において門跡は
自分が見てきた事実を必死に伝えようとする本多に対し
それも心々ですさかい。
と言った。同じ事柄を前にしても解釈は無限にある。門跡は本多に
あなたと私は違う世界を生きた
と言っただけだ。本多はそれを受け入れられなかった。聡明であった本多は
「見る人が違えば、事実の解釈は人の数だけある」
ということが、聡明であるがゆえに理解できなかったのだ。聡明な自分が見たのだから事実は一つに決まる、と思い込んでいたのだ。そして輪廻転生への思い入れとともに過ごした数十年という時間が、論理を飛び越して
「記憶もなければ何もないところへ自分は来てしまった」
という感覚に彼を居着かせてしまった。そう思おうが思うまいが、それは本多自身の問題だ。門跡はそれを肯定も否定もしない・・・。
今まで走った全部、私にとって何だったのか。それは、ツーリングとは何か、という漠然とした問いに対する答えでもある。
今まで走った全部、私にとって何だったのか。
私は自由だ、と思うためのステップでもあり
その自由について考える時間でもあり
自分が生きている世界の美しさに気づくための
プロセスでもあった。
次の信号を左に折れれば寮に着く。
街路灯は出発前と同じ色に光っている。
相変わらずだ。
相変わらずの毎日への入口。
バイクはヘルメットを被って
相変わらずの毎日とは少し違う世界へ行けるものだ。
私はそうやって
ヘルメットの内側と外側、ふたつの世界を行き来してきた。
その両方の世界は切り分けられるものでもなく
お互いがお互いに干渉する。
波と波との干渉のように。
波の干渉には
互いの波を増幅するものと
互いの波を打ち消し合うものとがある。
バイクの世界は
そのリスクと隣り合わせであるからこそ
毎日の楽しさを増幅させるもの。
自分の心を耕してくれるもの。
そして
自分のやったことは自分で背負っていくのだと
気づかせてくれるものでもある。
同じものであっても
位相が合わなければ
互いを打ち消し合ってつまらないものになるだろう。
その解釈もそれぞれの心に委ねられている。
無事に走れたことに感謝して
明日からはしばらく
ヘルメットを被らない日々を過ごしていく。
最後までご覧下さいましてありがとうございます。またお越しくださるとうれしく思います。