見出し画像

救急医療の現場で

わたしは、それにつながることを少し書いた。


今日は、病院でのことを綴ってみる。


救急車から出て、病院の裏口から入るとそこは、広いスペースで、いくつもカーテンで間仕切りがしてあって、すでにいくつかの治療が行われている様子であった。

わたしには救急車から離れた心細さがあった。これからわたしを扱う人は、大丈夫だろうか。自分の自尊心と思い込みで物事を進めないだろうか。

それは杞憂に終わった。


わたしのあたまの中には、時の流れに沿って何が起きたかが整理されていて、それを過たず、担当医に伝えた。

相手が正確な判断に至るように、と思って。

担当医の問診、簡易的な検査があって、しばらく時間を過ごし様子を見て、問題はなさそうだ、とのことであった。


救急医療の場は、一種の交渉の場でもあった。データを出して、できることとできないことを決め、合意のもとで物事を進める。

これをやる。なぜ。なぜならば。

今見られる範囲ではこうだ。見られない範囲はどうする。

時間が経っているから問題ないだろう。だろう、としか言えない。じゃあどうする…。

………………。


ひととおりのことが終わり、何か一山越えたように思ったところで、わたしには気になることがあり、追加の検査をしたほうがいいのではないか、と言った。こころに引っかかるものがあったのだ。

担当医は言った。

検査については、リスクがある。それでもやるのか判断してほしい。


突き放すのではないけれど、そう言った。その事務的な口調のなかに、わたしは柔らかさを感じた。

信用してみよう。

そう思うとわたしはわたしで、大したことがないのだろう、という気になって気持ちが軽くなった。

それとともに、事前にそんなことを逐一伝えなければならない世の中になったのか、と思った。低い可能性の話と、現在逼迫している状況とを天秤にかけて、それをこういう形で言うべきだと判断したのなら、担当医は大したことがないと感じているのだろう。

このまま帰っていいのだ、という扉が開いた気がした。



しかし。

さっきのベッドに逆戻り。いつのまにか、隣では、止血の治療のようだ。


担当医は冷静にわたしをみている。静かだ。
いまはいい。しかし、明日恐ろしい事態になるとも限らない。そうなるとしたら、原因は見えないところにある。自覚症状はない。少しずつ内側を蝕んでいるとしたら…。

その可能性は、ここまで目に見える事柄、説明できる事柄から、どれくらいだ。いや、何ともわからない。しかし、そうなってからでは遅い。そうですよね、でもいまは様子を見るくらいしかできることはありません。

わたしは、担当医の本当のこころを覗こうと思っていくつかの質問をした。やはり交渉事に似ている。

これ以上踏み込んだことをやるかどうか。

もしかしたら、このレベルでは担当医の立場から「検査をやるべきだ」とは言えない、言ってはいけないのかもしれない、そのジレンマがあるのではないか、と推測した。素人の当てずっぽうであった。

わたしは「検査をしよう」と言った。

明日死ぬか、何十年後に死ぬか、検査でそれが早まるのか、どれにしたって、行き着くところは同じだ。いいじゃないか。


追加の検査の結果、それまでの診立てと異なる事柄が新たにわかった。しかし、先の簡易的な検査ではそこまでわかるものではない、ということはわたしにも理解できた。

担当医は、こう言った。
「こちらで判断するのに、ここまでわかっておくべきでした。すみません。」

わたしは、この逼迫している状況で、至らなさを認める姿勢に感動した。優れた人格に直接触れた思いがした。

そして、追加の検査をしたことで、起きたことの全貌に一本の論理が通り、こころが落ち着いたのだった。それも含めて詳しく説明してくれた担当医には、感謝してもしきれない思いである。


優れたスタッフのいる病院に運ばれたことに感謝しなければならない。そこには、救急車と救急救命士がいなければたどり着けなかった。

そして、その仕組を作ったのは、日本という国だ。


わたしは今日も生きている。


医療従事者に感謝を。これはわたしの本心から。身近にいる、顔の見える方に、感謝をします。わたしは、わたしの手の届く範囲でそれをします。



通勤電車の時間で、書ける範囲のことだけ書いた。この話はとりあえず今日でおしまいにする。