創作への姿勢

先ほど確認したところ、noteのミッションは
だれもが創作をはじめ、続けられるようにする」
であった。

これまで存在していた「サポート」機能が「チップ」なる単語に置き換わっている。少なくとも言葉が置換されている。その先はどうなっているか、制度や何かのプロセスが変更されたかどうか、わたしは知らない。



チップ、だそうである。

この文章を読むあなたは、チップを誰かに渡したことがありますか。チップを渡したことがあれば、相手は誰ですか。尊敬する作家ですか。それとも創作を応援したい友人ですか。

わたしは「チップ」という単語で括られるものは、サービス業に従事する被雇用者へ、サービスを受けた人間が、何がしかの金銭を与える行為であって、金銭を与える者が心理的・立場(社会制度)的に上位にあり、金銭を受取る者がその下位にある状態においてなされるものだと一応の理解をしている。つまり、チップとは対価の発生するサービスに付随した行為だと理解している。その理解を創作へ当てはめるとなったら、創作者は給仕係に相当するのですかね。あるいはその作品は不特定多数にサービスを提供する位置付けなんでしょうかね。

「創作する場を提供する」はサービスであっても「創作する場における創作行為」はサービスでくくってはいけないと思うんですよ、わたしは。



創作とは下記である。

①はじめてつくること。つくりはじめること。創造。
②芸術的感興を文芸・絵画・音楽などの芸術作品として独創的に表現すること。「ーー家」。
③つくりごと。うそ。

広辞苑より

これは単語の意味からするとサービス(=第三次産業が取り扱う商品)ではない。そうなるとわたしの理解ではチップの発生する対象ではない。一方でサポートは発生しうるだろう。また、「芸術家」を「サービス家」と言い換えられるはずもない。


さて、noteは
「誰もが創作をはじめ、続けられるようにする」
と言っているが「チップ」という概念を導入したというのであれば、創作をサービスと読み替えて、ミッションをかえるのが筋のようにわたしは思う。
「誰もがサービスをはじめ、続けられるようにする」
というふうに。
こういう場所にいて、嬉しいですかね。わたしは嬉しくない。楽しいですかね。わたしはつまらない。もう少し一般的な言葉にすれば
「誰もが第三次産業をはじめ、続けられるようにする」
それはnoteでなくてもいいですよね。ここ、どこですか?

創作とはチップが発生する事柄だと理解しているのなら、それは創作や創作する人を下にみた姿勢だと思うし、少なくともわたしは「創作とはサービス(第三次産業が取り扱う商品)であって、そこにはある頻度でチップが発生する」と考える人とは相容れない。

その考え方は「創作したものには金銭の授受が発生する」とは異なる。創作したものには結果的にある対価が発生し、事業として成り立っているものもある。当たり前の話である。文芸・絵画・音楽などの芸術作品の多くは定型フォーマットに落とし込まれて流通・販売されている。

さきほど「芸術家」を「サービス家」と言い換えられるはずもないと書いたが、日本において芸術家は技術サービス業に分類されるんだそうである。しかしそれは芸術活動を生業とする人に限った話である。

創作活動それ自体は一定の対価を得る消費サービスではない。創作物を守り文化の発展に寄与することを目的とする著作権がいわゆる産業財産権とは異なる扱いであることもそのひとつの証拠といえるだろう。



たとえば創作大賞はサービスの質を問う競争ではないとわたしは思っているのですけど、わたしひとりが間違っていて、皆さんと違う立ち位置におりますかね? 
皆さんは創作大賞応募の優れた作品へ「おもろいからチップはずんどくわ」という向き合い方をされたんですかね?

創作という言葉の解釈を間違っているなら恥ずかしいので、超絶親切な方は教えてくださいまし。


わたしは「チップ」という概念を創作に持ち込むべきではない、とする立場にいる。