ロングツーリングの記憶ー13 竜飛崎を回って南へ
文章でロングツーリングの心の風景を書く試み。
ある年の5月連休、神奈川を出発して、宗谷岬まで行った私は本州へ戻った。下北半島を走ったあとは、竜飛崎を回って南へ。
これまでのお話はマガジンから読めますのです。
もはやnoteでゴーツートラベルです!…やで。
* * *
太宰治の作品「津軽」には
「そこに於いて諸君の路は全く尽きるのである。」
と記されている。
竜飛崎には行ってみようと思っていた。
いったいどういう場所なのか
この目で確かめたいと思っていた。
彼の辿った道のりと景色は
どんなものだったのだろう。
本州北端の岬と聞いて思い浮かべるのは、
「あたりの風景は何だか異様に凄くなつて来た。
凄愴とでもいふ感じである。
それは、もはや、風景ではなかつた。」
という太宰の描写が似合う場所。
「風景といふものは、永い年月、
いろんな人から眺められ形容せられ、
謂はば、人間の眼で舐められて軟化し
(中略)
人間の表情が発見せられるものだが、
この本州北端の海岸は、
てんで、風景にも何も、なつてやしない。
(中略)
ただ、おそろしいばかりで、
私はそれらから眼をそらして、
ただ自分の足もとばかり見て歩いた。」
太宰は三厩から竜飛まで歩いたとのことだから
恐らくは今の国道280〜339号を小雨の降る中
浜伝いにそろそろと進んでいったんだろう。
そうして彼は二時間も歩くと
「凄愴とでもいふ感じ」
になってきたのである。
私の辿ったルートは
今別から国道339号。
太宰と恐らくは同じ道のり。
「諸君が北に向つて歩いてゐる時、
その路をどこまでも、
さかのぼり、さかのぼり行けば、
必ずこの外ヶ浜街道に到り、
路がいよいよ狭くなり、
さらにさかのぼれば…」
小さな集落を抜け
その集落を結ぶために
やっとこさ切りひらいた私道のような道を
更に進んでいくと
どんな厳しい断崖が待っているか。
身構えるような気持ちになる。
ところがその終点は、少し開けたような広場。
小綺麗な太宰の碑が、ただぽつんとあった
(今は下の場所へ移動しているけれど)。
太宰に興味がなければとくに感慨もない。
拍子抜けするような竜飛崎。
太宰はそれを
「鶏小舎に似た不思議な世界に落ち込み」
と記している。
当時彼が感じた雰囲気は
今も残っているように思った。
昭和19年に書かれた「津軽」の文章が
そのまま現代にも通用する不思議な場所。
その碑があったところは
砕ける荒波も断崖絶壁もなく穏やかだった。
その後
自衛隊の開削した豪快な竜泊ラインへ。
この途中にある眺瞰台から見下ろすと
まさに竜が地上でうねっているようだ。
道あってこその景色だ、との思いを強くする。
道が出来る前、
太宰が言うように、風景など無かった。
風景とは人が作り出すものだ。
私は竜の背をたどって
南へ向かった。
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