音楽にまつわるひとりごと

おなじことを何度もいうのは大人になった証拠のようである。

小学校の給食の時間、いつも流れていた気がする。封建的な義務教育の仕組みのなか、だれが提案してだれが許可したんだろう。4人グループとなってたべる給食、たまにトラブルもあったけれども、この曲をきいて思い出すのは寒い雨の日、うす暗い空のした、妙に明るい蛍光灯の下でコッペパンを食べる教室。前の入り口の脇には足踏みオルガン、窓はすりガラスで、自分は教室のやや後ろ側で窓の方を向いて座っている。記憶の自分は何年生だったのだろう。


ほかの有名な曲よりも印象に残っている。いま改めて聞いてみるとRonnie James Dioが歌ってもおかしくない気がする。それはつまり、ABBAはハードロックの入口になり得るということであって、つい最近Ritchie BlackmoreがABBAのことを語った記事をわたしが目にしたからかもしれない。


ラジオから流れてくるあのold fashioned love song。そのひとつがこれ。ラジオに耳を澄ませて、当時はエアチェックという単語があったような気がする。FMで流れる曲をチェックして、けれども次にいつ同じ曲が流れるかわからない。テレビのザ・ベストテン、歌のトップテンが終了となって、それらで流れるような曲がFMを席巻するようになると、ラジオから遠ざかり、やがてdeath metal やblack metalへの道を進むようになる。


そうは言いながら、black sabbath直系の人間椅子を外すわけには行かない。いろいろな曲にまつわる話はあるけれども、貫禄を備えた彼らのライブはやっぱりよい。ぼくは 誰だ ひとりぼっち 骨と皮を 背負い込んで。歌詞ではそう言いながら和嶋慎治の「生きる」という軸が定まったことで、決して捨て鉢にならない懐の深さを手に入れた。



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