また買うている

珍しく本題を先にもってこよう。

本題である。本だけに。

 背後にある本棚が「おなかいっぱいや」と言いつつある。それにもかかわらず本を増やしておる。世間においておなかいっぱいなのに食わせるのは、たいてい高校や大学の運動部、あるいは体育会系の大学研究室の上級生である。こういうのは日本においても横文字でパワー・ハラスメントと言われるそうである。日本語っぽく言えば、立場を利用し理不尽な事柄を強要すること、と説明できそうである。しかし横文字のほうが生々しさがなくどことなく便利さを伴ううえ、さらには「グローバル」な言葉で表現していると勘違いを催す、など複数のそれっぽい理由により、何某ハラスメントという造語は日本社会に浸透しているようである。
 性的ないやがらせはセクシャル・ハラスメント、学術界におけるものはアカデミック・ハラスメント、飲酒の強要(教養ではない)はアルコール・ハラスメント、など世間は無理やりいろいろとさせられて大変なようである。であれば、見たくもない綱渡りやバンジージャンプを見せられ無理やりハラハラさせられたり、興味のないジェンガを見せられ無理やりハラハラさせられたりすると、これは間違いなくハラハラ・ハラスメントになることであろう。

 これを踏まえると、隙間がほとんど無い本棚へ更に本を突っ込もうとするのは、いったい何と言うのであろうか。おなかいっぱいな本棚へまだ本をねじ込むのか。ひどい仕打ちである。これは、ブック・ハラスメント、であろうか。そうかもしれぬ。ではこれを略してみるとブッハラであろう。まったく以って意味のわからないことである。
 わたしは毎日、眉間に皺を寄せて此のような事ばかり考えている。

 そうして、また1冊本を買うてしもうた。


本題はそういうことである。おしまい。





 あとは蛇足・余談・無用な文章である。

 そう思ったが、世の中に立派そうな顔をして公開されているのはおおかた無用な文章である。読まれたうえで「無用である」と判断されるならまだしも、無用どころか見向きもされない。見向きもされないのだからやはり無用である。そういうものである。だからええのだ。わたしは無用な文章を綴る。自由だ。何がどう自由なんかしらんけどよかったな、あはん。

 最近、ドストエフスキーの白痴を読み進めつつあるのだが、ロシア文学に触れたときの登場人物のわかりづらさ、混み入った(あるいは何の脈絡もない挿話が延々続く)構成、冬にならないと読みたくならない陰鬱な描写、などを思い浮かべると、脳内みうらじゅんがおもむろに「そこがいいんじゃない!」と言い出す。

 そうか、そうなのだな。

 この読みづらさを半ば無理やり受け入れてガシガシ読み進めていく(これはまた快感を伴うのだが、エネルギーが要るのです)のもええのだが、少し休憩してみようと思うたのであった。ドストエフスキーは小説の中に、本筋と直接関係のない会話をなんの遠慮もなくブチ込んでへいちゃらな作家である(私から見て、そういう特徴を持っているのは彼だけではないのだが)。

 そうであれば、わたしの読書体験においても、ドストエフスキーの読書中にそれと関係のない本をいくつも差し挟んだところで何も問題ないではないか。ひとつのものがたりを読みつつあるからといって、他のものを読んではいけない道理はない。何冊もつまみ食いしながら読んだり読まなかったりしている。そこがいいんじゃない!
 ハリーポッターはアズカバンの囚人で止まっており、ゲド戦記は1冊未読、守り人シリーズも3冊目で止まっている。その他いろいろである。そういうわたしが今つまみ食いしているのは、アレとかコレとかである。何言うてんねん。しらんがな。

 そうやって、何冊もの本が目の前に積み上がっていて、それぞれが全て読んでいる途中のものである。それなのに金曜日、おともだちに会うまえに、三越前・タロー書房へ寄ってまた1冊買ってしまった。本題で言うたやないか。ここにはなぜか探している本が置いてあるのだ。限られたスペースなのに。

 本屋と人とのあいだには、相性のようなものがあるのではないか。本屋に行こうとするとき、特定のものを求めることがある。楽しみにしてる月刊誌であるとか、そういえば旅行誌を見てみたいとか、あの作家の新刊が出たから、とか。その一方で、さしたる目的もなく「なんかおもろいもんないかな」とふらり立ち寄って、「ああ、これこれ」と初めて見た背表紙から書籍を手に取りそのままレジへ直行することもある。後者のようなことの起こる確率が高い本屋は、相性がいい。そういう処へいくとどこか気持ちがほっとするのだがどうにも出費を伴うのである。困ったものである。

 そういうことであった。

 蛇足という言葉があるが、蛇に足が生えたなら、それはたとえば竜のようなものになるのであろうか。そういえば今年は辰年であって、英語へ直訳すればドラゴン・イヤーである。ほんまか。しらんがな。わたしの書くものはその程度に無用なのである。何を今さら。



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