応援の方法
noteは、創作の応援方法としてチップという方法を取り入れた。わたしは
・他人を応援するシステムとしてチップ制度を使う
のはイヤだ。
noteがこの制度を導入した事実からすると、note株式会社に属する皆さんは少なくとも
・誰かがnoteをいいなと思った時にチップという制度/概念で応援されたい
のだろうと推測する。
たとえば創作大賞授賞式のような、さまざまな立場の人が一堂に会する場において、noteで創作をする人間でなくとも誰かがnote株式会社のどなたかに
「noteの方ですよね。いつも応援してます。これ、チップです。受け取ってください」
と言われてnoteの皆さんは喜ぶのだろう。なぜならこのシステムを「いいなと思って応援するのに最適だ」と判断して導入したのだから(何しろ、一言変えれば動く金額が2倍になったそうである)。あるいは、現実世界でそういうやりとりをなさっているのかもしれない。そもそもnoteの中の人は、サービスを提供する人だし。
12/1に文学フリマ東京が開催される。note株式会社からどなたかいらっしゃるのだろうか。いらっしゃるのなら参加者の皆さんから、noteの方へ直接ねぎらいのチップをあげてみてはいかがかと思う。面と向かって
「これ、チップだよ」
と言いながら。
noteは「いいなと思ったら応援しよう!」としてチップを推奨する会社だし、創作の場を提供するnoteサービスを応援したい人もいるでしょうから、きっと喜ばれることでしょう。
上のように書いてみたものの、これはわたしの感覚とは著しくズレている。本当に応援したい人、尊敬する人、あるいは創作を継続して続けてほしいと思う人に対して、わたしが金銭をお送りしたいと思う時、そうする時は、チップとは思わないからである。そもそも日本で金銭のやりとりをしてチップという概念が必要だと思ったことがない。一度もない。
現実世界において、近づきたい人に「応援してます」といって「これ、チップです!」という人をわたしは見たことがないし、noteで知り合った人に文学フリマで初めて会って「会いたかったんです! 応援してます! チップ代わりにお菓子あげます!」などとやりとりをする人もいないだろうと思う。そんなやりとりはわたしの感覚ではあり得ない。
チップとは、サービスの対価に付随して生じる金銭であるから、創作とは別の次元にあるとわたしは理解している。
心の衝動から生じた創作行為そのものに対して「金銭を用いて気持ちを伝えたい」と思ったとして、それはサービスへの対価ではない。当たり前である。創作行為それ自体は、対価の伴うサービスとは別だからである。サービスではない創作行為に、その対価が発生していないにも関わらず対価に付随するチップのみが生じるなんてことはありえない。わたしの理解はそのようになっている。動く金額が大きくなれば理屈を曲げてよいとは思わない。
本来金銭で価値を測れない創作行為と、第三次産業として金銭を対価とするサービスとを同一視することはできないし、創作行為とサービスとの境界をわざわざあいまいにして「応援する」なんておかしいと感じている。
いやいや、君のその理解はまちがってるよ、ほんとはこういうことだよ。
という人がいたら教えてほしい。これは冗談でなくそう思う。クリエイターへの問合せでもいいです。
間違っているとしたら、創作、第三次産業に包含されるサービスあるいはチップという概念のいずれか(あるいは全て)の理解を履き違えていると思うので。