言葉って、底がしれない #ことば展覧会
ことばは、ことのはでしかない。
コト の ハ
ハとは、端。
ことばとは、
事の端っこしか表すことができない
というのが昔の日本人の認識だったと、本から知った。
昔から、言葉を使う日本人はそういう認識を持っていたんだと思った。
ことばは不完全なものである。
みんな知ってる。
端でしかない。
なにか、大したものではないような気もする。
けれどもわたしたちは
言葉というものをしっているのに
その全貌を知ることはない。
「不完全だ」ということはつまり
「果てがない」ということでもある。
それは「ここでおしまい」ということが無いからである。
その不完全な言葉は、人を形づくる。
わたしたちは、
任意の個人がどういう素性なのかを、
その人の使う言葉を通して感じる。
たとえば
同じ日本語であっても、その選び方、タイミング、発する温度・・・
という無数の掛合せによって
不完全な人間であるところの、情報の受け手が、
不完全な人間である情報の送り手のことを、
不完全な言葉によって、
そこそこの精度で知ることができる。
その言葉の送り手の姿がふわっと立ち上がってきたら
言葉によって、情報の受け手が、
情報の送り手の人物像を造形したことになる。
言葉も人も不完全だから、
その欠けた部分を欠けたままとして、あるいは補完して
言葉を使った情報の送り手のことを想像する。
そして
想像した姿は、そんなに間違ってないように思う。
不完全なものの掛け合わせなのに。
言葉によって立ち上がった人間像は、
すでに言葉から離れた存在になっている。
言葉は、
必ずその人の経験と結びついている。
言葉は、
その人の経験を掻き集めて、
言葉でないものを形づくる。
その過程を眺めてみたら
言葉って、底がしれないな、と思った。
* * *
拝啓 あんこぼーろ さんの企画に
チャレンジさせていただいたものです。
言葉について考えるきっかけをくださりありがとうございます。
言葉って、言葉って・・・。
また明日考えたらええか。明日から本気出します。