長いと強い。短いと弱い。
いつからか、「強みはなんですか」と聞く人が増えた。
日本語において
強み⇔弱み
といった尺度で自分の能力を語れ、と言われ出した(この言い回しは他責的だけれど)のはいつからだろう。気がついたらそうなっていた。人間の特性を強弱というスケールで測る前は
長所⇔短所
という言い方がされていたように思う。
弱きを助け強きをくじく、という言い方があって、この言い回しを成立させるために存在する「弱きを助け強きをくじく存在」は本来強いはずで、けれどもそれを明らかな形では表現していない。
強弱で人間の程度を測るのには、弱肉強食の世界で生きるための品定めをする目的がある。そうして「強みはこうアピールせよ」というノウハウの顔をしたものがその辺にたくさん転がっている。強みをアピールするために右往左往している時点で強くはないと思うのだけれど、そういうことはあまり指摘されないようにも見えている。
長短というのは、強弱とは異なる指標になる。
帯に短し襷に長し。
長短は強弱という指標とは異なる次元にある。
「長所は何ですか」と問うのと「強みは何ですか」と聞くのとでは受ける印象は異なる。前者は人間性を引き出すための投げかけなのに対し、後者は業務に役立つ属人的な能力の開示を求められているように思う。
仮にそういう狙いだとすると、世の中に出て仕事をしたことが無い、あるいはその経験が殆どない人間に「強みはなんですか」と聞くのは私にはおかしなことに思える。日本語を使う人の多くが長所と強みとをどう捉えているのかは知らないけれども。
長所より強みという言葉が先に出る価値観をどうにも窮屈に感じるのは、わたしのそういった偏見に理由がある気がする。
しらんけど。