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鯛焼讃歌
好きな言葉を並べたり
好きなお酒のラベルを並べたり
そうやって趣味を楽しむように
私は好きな食べ物を言葉にして並べて
勝手にニヤニヤするのであるよ。
さて
大阪にはおいしいたい焼きというのはあるのであろうか。大阪を離れて久しい私にはわからないのである。インターネットで探せばすぐに出てはくるものの、人的ネットワークからたい焼きがヒットしたことはないのである。
人間同士がお互いにふるいにかけてきた人的ネットワークの方が情報の確度が高いのは誰であっても当たり前なのであって、そこに引っかかってこないというのはつまり、それ以前に食べるべきものがある、という解釈も成り立つと言えるのであり、しかし私の人的ネットワークに引っかかるのはディープな居酒屋とか場末を思わせる中華料理店とか、世間でいう「おしゃれ」とは対極に位置するものであって、いわゆる”スウィーツ”なる現代語でくくられるものはほぼ情報の網から漏れてしまっているのである。
だだ漏れである。
しかしそれで良いのだ。そこには自分で探す楽しみもあるのです。ふふ。
東京は四谷にある、わかばのたい焼き。東京には誰が言い始めたのか「たい焼き御三家」というのがあるらしい。わかばというお店はその一角を為すのであって、そこのたい焼きはもう目を閉じて眉間にシワを寄せながら黙って食べてしまうくらいにおいしいのである。余談ではあるがこの歳になるとシワが元に戻らない懸念があるので注意を要するのであるよ。
皮と餡。
このシンプル極まりない組合せをどう工夫するのか、何にポイントをおけば良いのか、見た目はもうたい焼き以上のものでもない。当たり前である。だってたい焼きなんだもん。素人目にみてもごまかす部分が無いのであってテキヤのたい焼きくらいしか知らない私にとってはおいしいとおいしくないの差でさえ想像できなかったのである。
しかし。
薄いけれどしっかりと存在感のある皮がいいのである。少し塩気があってべとっとしていない餡がいいのである。冷めても美味しい全体のバランスがいいのである。やはり出来立てをにこにこ食べるのが最高なのである。たい焼きを包むあの包み紙がいいのである。それを売る店構えが好きなのである。
初めて食べたのは、家のものがたまたま頂き物を家に持って帰ってきた時であって、それを一口食べた瞬間にたい焼きを侮っていた自分を恥じたのである。
そういう体験をしてしまって、これを売っているお店というのはどういうところなのか自分の目でしっかと確かめなければ気が済まないと思い、電車に乗って鼻息荒く現地へ行ってみたわけなのである。
初めてお店へ行ったのは何年も前、ちょうど今くらいの時期。
そのあと、寒さに首をすくめながら食べた味もまた記憶に残っているのであった。私にしては珍しく行列に並んででも食べたいもののひとつである。