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シフトすることを、選ぶか。


2015年12月25日

印象に残った言葉を見つけました。

“もう自分のために、スネていてはダメ。自分の人生のために、素直になるんだ!”

そしてそこから、あるブログ記事を読み

“ 世界が全て鮮やかに見えるようになっていた ”

っていう部分について、
(あー、私もこういう経験があったなあ。)と、久しぶりに思い出しました。


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わたし、愛知の大学に通っていたのですが。

その地域一帯では、女子学生への性被害が多発していました。その問題、「女性問題」を学んだり対策を提起する為に、専門の学生団体も有ったほど。

そして1年生の時、大学祭で女性問題についての講演会に出席しました。


最初は普通に聞いていたのですが、講演をしていた男性が、子どもの性被害について話した時、なぜかそこに座っていられなくなり、席を立ちました。膝はガクガク震えていて。
そして、バッ!!と、一瞬で判りました。
(あれは、、、夢じゃなかったんだ!)
って。

涙が流れてしかたないので、ひとりトイレに居ると後から友人が来ました。泣いている私を見て友人は言いました。
「どしたん。なんか傷つけられたん?」

友人に聞かれても、自分でもなぜ涙が出るのか判りません。
悲しいのか?なんなのか?なぜ涙が出るのか?まったく自分でも判らない。

「なんで泣いてるのか、わかんない。」

そう答えて、私は自分がどう感じているのか?感覚がまったくないことに気付きました。


なぜか涙が流れるのと、
あとはただ、自分の目の前にあった薄いベールが、バーーッ!!っと一気に開かれたように、

『ハッキリと目の前の霧が晴れた感覚』

がありました。


私、子どもの頃に、集団からの性被害に遭っていて。

それを、ずーっと、(へんな夢だなあー。)と思っていたのです。

(正確に言うと、心の底:潜在意識では現実だと判っていたのですが、顕在意識の自分は、現実だったと認めていなかったのです。)

あの時、講演した男性が話したことは、加害者からの視点と加害者側のシチュエーションでした。
それが過去に自分の置かれた状況とまるっきり同じだったのです。加害者側の視点が!!
まるっきり加害者側の状況と似ていた話に触れたことで、夢だと思っていたことをバーーーーっ!!と鮮明に思い出し、顕在意識の上でも(ああ、現実だったんだ)とはっきり認識してしまったのです。


その後、大学在学中は女性問題に関心を持ち、性虐待と性教育の研究をするに至りました。
わたしの場合フラッシュバックなどはありませんでしたが、眠れなくなったのですいみんざい代わりにウイスキーを飲み(のちにメンタルクリニックにかかり)、鬱になりながら、卒論で性虐待について書きました。

自分の感情がなかったというのは本当で。大学1年当時は、選挙を経て学生自治会の執行部で書記をしており、学内外でさまざまな議論や討論をしていました。

その際、本当に自分の意見をいうことができず、非常に苦しかったのでした。自分のほんとうの思いが、出てこない。

それは、今まで痴漢にあう時もそうでしたが、嫌だという自分の感覚と感情を、今ここに居る自分とは別のところへ飛ばして、バシッと切り離すことが出来るんですね。自己防衛の一種。
自然の幽体離脱みたいなもんです。

本当に感じていることは、隠さないといけないと思い込んでいたのです。生き残りの術でしょうね。
「NOって言える」とか、「言っていい」なんて、思いもしませんでした。(この点、性教育でも強く伝えて欲しい点です。)


なので、議論をしていても、自分が「ほんとうは」この点についてどう感じているか?どう思うか?意見を出すことが本当に難しく、すごく苦痛だったのです。


性とは、「人間の根幹」=「自分の根幹」です。だから、性への暴力は殺人と同じなのです。 (って言っても、ピンとこない人多いでしょうかね?)

性虐待を学ぶ内に、不可解だった私の不自然な部分が、学問的にもさまざまに次々と裏付けされ、ほんとうに救われた。
・・・と、当時は思っていましたけれども、残念ながらそれはアタマの中だけでした。心と身体は、大丈夫じゃなかった。ということが、後で判りました。


遅まきながら近年やっと、本来に戻ったなーというところです。なぜ、本来の心身に戻れたかという点は、いつか書けたら良いと思っています。

性やセックスについてもぼちぼち書きたいところ。若いサバイバーの方たちが、前へ進めると良いなと思います。

その人が、自分の自由に好きなことをしたい生き方を望むのであれば。


それにしても。私は「自分・女性としての自分」と向き合うために、愛知に来たんだなあ。と思いました。

人生のシフト。私の場合、愛知で始まった。
ま、私自身が愛知を選び、シフトすることを私自身が選んだのでしょうけれど。

(たぶん実家がある都内の大学だったら、わたしの場合シフト変更出来なかった。大事にしてくれている両親に、自分の苦しむ姿は見せたくないと思っていたので、実家から離れた土地である必要があったと思います。)

なので愛知は、わたしが育った所よりずーーっとホームグラウンドと申しますか、思い出深いところ。でも、行きたいような〜行きたくないような。

ところがその愛知へ、しかも大学の近く!へ、来冬に視察旅行で行くことになり。個人的には、(このタイミングで、一体。何の因果なんだろうか。)と感じた、今日このごろ。


風もないバイク日和。

なんと!八丈島まで見えました。


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