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宇宙人が笑った、「人間の愚かさ」の話

あれは小学校5年生の頃。
担任が、熱血な国語の先生だった。
私は小さなころから読書が大好きで、国語の成績も良く、授業中にその先生に作文を読み上げられたことも何回もあった。

ある時、国語の授業で、教科書に宇宙人と人間の話が出てきた。
あらすじは忘れてしまったのだけれど、少し暗喩的な話で、結末としては人間の馬鹿さ加減を宇宙人が笑う、みたいなお話だったと思う。
この話を教科書で読み、授業中に、「ではこの話は結局何が言いたかったのか?」という先生の質問に、私は当てられた。
私は素直に「〜という人間の愚かさです。」と思ったことを答えた。
多分、当時の私のクラスで「愚かさ」なんて言葉を知っている子は他にいなかったのではないかと思う。

次の家庭訪問の時、先生はこの話を母親にしたようである。
先生はおそらく私のことを褒めるエピソードとして母に伝えたのだと思うが、家庭訪問の後、母から先生がこういう話を聞いたと言われ、そして「お母さん、恥ずかしかったわ。」と言われた。その場にいた次姉も、しらっとした顔で私を見た。
母にそう告げられて、私は「愚かさ」なんて大人びた気取った言葉を使った自分を恥じた。
その後、授業でも私生活でも、そのような他の子供が使わない言葉を口に出さないようにして、大人になった。

その後、複数の職業を経て私は細々とだがライターの仕事をするようになった。そしてこの思い出が度々脳裏に浮かび、だんだんと気づいてきたことは、あの時の母と次姉の対応は、子供の感性を萎縮させるものではなかったか、というものだ。質問の答えとして、あの答えは合っていただろうし、なぜそれがダメだったように言われないといけなかったんだろう?
思うに、母はわたしが「他の同い年の子供と違う、過剰に大人びている=変わっている」ということが恥ずかしかったんだと思う。人からどう見えるかをとても気にする人だった。
あの時、母が私の答えを褒めてくれていたら、私は書く仕事にもっと早く出会えたのではないか。もう悲しんでも仕方ないことだが、そう感じてしまうのである。

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桜庭 紀子
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