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ワンワンのおっちゃんのこと
おっちゃんの思い出で、一番心に残っているのは家が洪水にあった時、姉と共にカッパを着て長靴を履いて、おっちゃんと一緒にジャブジャブ家の周りを歩いたことだ。なぜ非常時にそんなのん気なことをしていたのかわからないが、みんなではしゃいでとても楽しかったのを覚えている。
彼のことを、家ではワンワンのおっちゃんと読んでいた。おっちゃんは無職。犬が大好きで、家の飼い犬の散歩を買って出てくれたのである。なぜ無職の明らかにあやしい老人にそんなことを頼んだのか、親の感覚が不思議であるが、今思うと子供が3人いて、母も犬の世話まで手が回らなかったのだろう。時代のゆるさもあったと思う。
右手だか左手だか失念したけれど、おっちゃんは片手の親指がなかった。なんでなかったのか、事故だったか犬に噛み切られたのだったか忘れてしまったが、そのことだけは覚えている。
かなり不審なワンワンのおっちゃんだったが、姉たちと私は懐いていた。やさしいおじさんだった。昔は大人の男性の年齢がよくわからず、勝手に彼はだいぶおじいさんだと思っていたが、もしかしたら当時まだ50代とかそこらだったかもしれない。詳しいことを親に聞きたいなあと思うけれど、母はもう亡くなり、父とは絶縁してしまったので確認できない。今度姉と会ったら詳しく話を聞きたいなと思う。上の姉は私より6つ年長だから、割と色々覚えているのではないかと思う。今回はひとまず私の記憶のみを頼りにして書く。
ワンワンのおっちゃんは子供好きだったらしく、私が生まれたての時、首もまだ座っていないのに勝手にベビーベッドから抱き上げていて母がヒヤリとしたらしい。今なら通報されても仕方なさそうな行動だが、ゆるい時代だったのか母もふんわりした人だったからなのか、私も今無事だしそういうことがあったというだけだ。
おっちゃんはある日次姉と私に大きな、綺麗な模様のある石をそれぞれに一つずつくれた。ゲンコツ二つ分ある、細長い石だった。二つとも美しかったが、明らかに次姉がもらったものの方が良い模様だった。次姉は小さな頃から美人で、年上の男性にモテていた。ここでもモテを発揮したのである。私は自分の石の方が見劣りがしたのが悲しかったのを覚えている。
そのうち面倒を見てもらっていた飼い犬も死に、おっちゃんとの交流はしばらく途絶えた。次にあったのは何年後だったろうか。おっちゃんの家に母と私とで行った。なんの用事だったのか、今となってはわからない。おっちゃんの家は、狭くて暗かった。多分、犬が一匹いたと思う。
おっちゃんが入院した時も一度母とお見舞いに行った。おっちゃんにはあまり身寄りがないようだった。今考えると、親戚でもないおっちゃん、身元もあやふやなおっちゃんに母たちはすごく優しかったと思う。
おっちゃんとの思い出はこれくらいだ。多分たくさん遊んでもらったと思うのだが、私も幼かったので細かなことは覚えていない。でも、おそらく現在ならばワンワンのおっちゃんのような人と子供たちが触れ合う、ということは難しいだろう。親が警戒してしまう。田舎の、あの頃だったからできた交流だった。少しあやしげな人もなんとなく存在が許された。束の間触れ合った。小さい頃のなんだか楽しかった思い出の一つとなった。おっちゃんはもう亡くなっているだろう。彼の本名を知ることもない。おっちゃん、遊んでくれてありがとう。
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