大切な人を看取るときがいつか来るとしたら、最期に何と伝えるだろう
10年前の冬、自宅で父を看取った。
1年半ほどの在宅介護を経て、最期のときは私と夫が側にいることができた。
余命は数ヶ月前から伝えられていた。覚悟はしているはずだった。
それでも実際にそのときが来たら、想像していた静かな気持ちとはまったく違う、何か激しい衝撃のようなものにおそわれた。
私は何も声をかけられず、ただ、弱くなっていく父の手首の脈を感じていた。
「ほんなら、またな!」
これが父からもらった最後の言葉だった。
ある週末、いつものように実家で夕飯を共にし、帰り際にかけられたひとこと。なぜか普段のトーンより少し大きな声に聞こえて、しばらく耳に残っていた。
その1ヶ月後、不整脈によって、父の心臓は突然止まったのだった。
「今救急車で運ばれてる、心臓が止まった、危ないかもしれない」
サイレンの音とともに留守電で聞いた母のしどろもどろの声も、まだ耳に残っている。
救急救命での蘇生がギリギリのところで間に合い、一命は取り留めた。
しかし脳の損傷がひどく、意識が戻ってからも意思疎通はできないまま。寝たきりの障害者となった。数ヶ月病院で過ごした後、私たち家族は在宅で介護していくことを選択した。
身長が高い人だったので、寝たきりのお世話となると、まるで51歳の大きな赤ちゃんのよう。体はヒジから上しか動かせない。もちろん言葉は話せず、不快なことがあるとウーウー唸って知らせる。でも唸るだけなので、痛いのか、吐き気がするのか、暑いのか、寒いのか、こちらからは一切わからない。
そのころはちょうど、仕事が忙しい時期と重なっていた。疲れて自宅に帰ると父のお世話が待っている。一人でお茶をする時間や習い事など、ちょっとした楽しみも犠牲になった。ちょくちょく行っていた旅行ももちろんおあずけ。
何より、どんなにお世話をがんばったところで、父の脳はもう回復しない。
おもしろかったはずのバラエティ番組をみても、もう笑えなくなっていた。
なんで、在宅介護なんて選んだのだろう。
なんで、あの朝急に心臓が止まってしまったのだろう。
なんで、あと数分早く蘇生してくれなかったのだろう。
悶々とした気持ちで汗だくになりながら、大きな体にパジャマを着せる夜は続いた。
そんなある日、同じように寝たきりのお母様を在宅で介護している女性と話す機会があった。
てっきり愚痴を言い合って慰め合うのかと思っていたら、その方はこう言ったのだった。
「介護の時間って、贈り物のような時間ですよね」
寝た切りの母親のペースに合わせて何もかもゆっくりと共有する時間が、愛おしいのだと言う。
私は介護をそんな風に捉えたことはなかった。自分の楽しみが奪われたことしか見えていなかったことが、急に恥ずかしくなった。
その話を聞いてからだんだんと、介護とともにある暮らしの見え方が変わった。
思えば大人になってから、親の手を握って話しかけたり、頭をナデナデしてあげたり、そんなことをする機会なんてまずないだろう。
「今日は会社でこんなことがあったよ」
「明日は長い会議があるけどがんばるね。だからパパも検査がんばってよ」
なんて、小学生みたいに無邪気に語りかけることだって、きっとない。
そうか、そう言われてみれば、この時間はなんだか愛おしいかも。
在宅介護、在宅看護の良さは、こうして親とのコミュニケーションをいつでも気兼ねなくとれるところにある。病院へわざわざ足を運ばなくても、いつでも様子を見ることができるというのは、物理的にも精神的にも負担が軽いはずだ。
いつまでも起きてしまったことを悔やんで、自分の境遇を哀れんでいても何も進まない。
大変な状況のなかでも愛おしいものを見つけて、楽しんでいくしか乗り越える方法はないのだ。
在宅で患者を看取ることを決めた家族には、ある時期になると、医師から一冊のパンフレットが渡される。
そこには、人がどのように亡くなっていくのかが書かれている。死に向かっていく人間の身体に起こる現象が、段階的に説明されているのだ。
そしてそのパンフレットには、「いよいよ」となる前までに、お別れのメッセージを伝える時間を設けてください、というアドバイスがあった。言いたいことが言えなかったと後悔が残らないように、という遺族への配慮だった。
父と二人きりでいるときに、私は最期のメッセージを伝える時間をつくった。
「いつも笑顔をありがとう。こちらのことは、何も心配しないで。みんな大丈夫だから」
大きな赤ちゃんである父には、理解できていたのかわからない。でも、何となくにっこりと聞いてくれていたような気がする。
書ききれないほどいろいろなことが起きた介護生活だったが、いちばん印象に残っているのは、この最期のメッセージの時間だ。
大切な人とのお別れは、生きている限りいつか必ずやってくる。そのときに自分はその人に何を伝えたいだろうか。
今頭に浮かんだ言葉があるならば、すぐにでもその人に伝えてあげてもいいのかもしれない。何も最期のときまで出し惜しみする必要はない。
伝えるべきことをいつも伝えられていられれば、きっと毎日が愛おしい時間で満たされるはずだ。
*写真は入院中の父の病室から撮った、10年前の岐阜の空です。