沖縄の何もない村に、15年間も通い続けた理由
「今帰仁村」という村をご存知だろうか。「なきじんそん」と読む、沖縄北部にある小さな村である。
人口は約9,300人。ショッピングモールもなければ、ドラッグストアもない。メインの道路でさえ信号は数えるほどしかない。「何もない村」である。
15年前、私たち夫婦は初めてその村を訪れた。そしてそれから毎年、年に3回ほど通い続けるようになった。そこまでその村に惹かれたのはなぜなのだろうか。
最初に訪れた理由は、有名な観光スポット「美ら海水族館」へ行く途中に通る村だったから。二車線しかない幹線道路を、目的地に向かってレンタカーで走り抜けた。
住んでいるかわからないような古い建物がポツポツと現れるものの、畑なのか空き地なのかわらかないような雑然とした光景が続く。店舗らしきものも見当たらない。
「こんな何もないところ、絶対住めない」とつぶやいたことを覚えている。
その翌年、二回目の沖縄旅行へ。
観光地をめぐるのではなく、ゆったり過ごすプランを考えていた私たちは、美しい海の風景が見られる小さな宿を予約した。それはあの「今帰仁村」にある宿だった。
宿に到着して、サイトで見て憧れていた美しい風景を眺めた。本土では見られない、心がふわりとほぐれるような青色の海。時間を忘れていつまでも見ていられた。
日が沈み、近所の食堂で夕食をとることに。ホテルのレストランのような華やかさはないけれど、あたたかい雰囲気のお店だった。丁寧に調理されたおいしい沖縄料理をいただいていると、注文していないはずのひと皿がテーブルに置かれた。
「沖縄の料理、ヒラヤーチーだよ。食べてみて」と店主さん。ヒラヤーチーはメニューにも載っていない。なんて粋なおもてなしなのだろうと感動し、すっかり満足してお会計をすませると、お土産にどうぞと揚げたてのサーターアンダギーを渡された。そして「宿はどこ? 送っていくよ」と、自家用車で送迎までしてもらった。
別の年の沖縄旅行のこと。夕陽を見ようとビーチ沿いを散歩していると、一人のおじいに声をかけられた。「どこから来た? ちょっと一緒に飲んでいけ」と誘われて付いて行ってみると、近所のおじいたちが数人、軒先で泡盛を飲んで盛り上がっていた。沖縄には、誰かの家にどこからともなく集まってお酒や食事とおしゃべりを楽しむ「ゆんたく」という文化がある。話には聞いていたが、まさにそれが「ゆんたく」の場面だった。
おばあお手製のチャンプルーを振る舞われ、最後はなぜか味噌煮込みうどんを作っていただけた。正直なところ、あまり言葉はわからなかったが、地元の話や本土へ出稼ぎに行っていた話、家族のことやDYIしている自慢のテラスのことなど、わいわいと楽しく聞かせてもらった。みなさん真っ黒に日焼けしてカラカラと笑い、おおらかな表情をしていたのが印象に残っている。
今帰仁村に惹かれた理由の一つは、このような人の温かさにある。観光客だから、お客様だからなどという他意は、彼らのおもてなしからは感じなかった。
ゆっくり回ってみると、何もないと思っていたこの村にも、小さな商店や小ぢんまりとしたカフェ、昔ながらの海の家など、魅力的なお店はたくさんあった。どこに行っても迎えてくれるのは、ただただ優しい村の人たち。
そしてもう一つの理由は、何といっても自然の豊かさと美しさ。
まだまだサンゴがたくさん残る海は、少し沖に出ればウミガメに出会える。
「やんばる」と呼ばれる亜熱帯の森では、ダイナミックな植物たちのパワーに圧倒される。
滞在はほんの数日でも、ここでしか触れられない特別な空気に包まれると、身体が軽くなるのを感じた。
旅を終えて日常に戻れば、毎日会社へ通い、淡々と仕事をこなす日々が続く。ストレスにおそわれたときは、今帰仁村の風景を心に浮かべて「また行ける日までがんばろう」と、次の旅の予約をする。
こうしてこの村は、私にとって力の源となる大切な場所となっていった。
そして15年がたった2020年、私たち夫婦は沖縄へ移住し、この村の村民となった。
お互い長く勤めていた会社を退職し、行動に移すには勇気が必要だったが「15年も通ったから」ということ自体が、移住を決意するための大きな理由となったのだ。
「こんな何もないところ、絶対住めないよね」とぼやいたはずのこの村で、いま新しい人生が始まっている。
今帰仁村のキャッチコピーは「何もないけど満たされる」。
旅先として訪れても暮らす場所としても、この村で過ごす時間は、きっと新しい何かに気づかせてくれるだろう。