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プロフィールー10年暗黒の末の大学教員

このnoteでは二つのテーマ、TOEICと電子書籍出版のコンテンツ制作方法を書いていこうと思っています。

が。私自身、電子書籍出版のための論を語る資格はあってないようなものです。自身の挫折があるからです。

暗黒前夜まで

中日新聞社記者が社会人としてのスタートでした。5年間、一面トップから地方版の短い記事まで1000本以上を活字にしました。その後、カナダのブリティッシュコロンビア大学大学院でジャーナリズムを学びました。

英語を習得したのは、この大学院2年間です。現地新聞社幹部やテレビ局社員らに取材、インタビュー、執筆などの指導を受け、記事を制作しました。同期は15人だけ。UBCジャーナリズムスクールでの日本人の修士号、一人目になりました。

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暗黒のはじまり

そこまでは思い描いたルートになんとかしがみつくよう必死でしたが、今思えば実力が追いついていなかったのです。大変なのはその後でした。

ライターとして独立して文章を発表する仕事をしていきたいという野望を持っていました。書きたい文章ジャンルがありました。

が。

2ヶ月かけて書き上げた原稿があっさりボツ。そんなボツ連絡を受けることが10回目になった晩のことはよく覚えています。終電間際、名古屋駅近くの安い居酒屋で酔っ払って、コインパーキングで倒れ込みました。飲み過ぎたから動けなかったのか、ただただ疲れて足を動かせなかったのか。「もう、字は一生書かない」などと意味不明なガラガラの大声を出していました。

ちなみにその晩、一緒にいた友人はそれ以来、会えていません。10年以上、そんな感じで失敗した記憶と記録しかありません。

拾う神

いつか野望が叶うまで、食い繋ぐため、と得ていた大学の非常勤講師という職。気楽に、楽しくやれていたのが良かったのです。

そのうちに、TOEICの講義にのめり込んでいきました。 複数の大学を移動しつつ、毎日1限から4限まで週18コマ担当した年もありました。通常の専任教員なら7コマ程度です。だからこそ、多くの学生に向き合うことができました。

学生から、「どうしたらスコアが伸びますか」と聞かれることが増え、その度に、 様々な文献を読んだり、問題集を比較したり、問題を分析したりしてきました。

「900点を超えました!」など、スタートは500点もおぼつかなかった学生から、何百点もアップしたという報告を数多く受けるようになり、ますます講義準備にどっぷり浸かっていき、外国語学部の専任教員になっていたのです。 

学生の伸びグラフ.001

学生たちが私を教師にしてくれました。 

今は、TOEICのスコアアップ法を題材にした、電子書籍を出版するゼミの指導教官です。

今の私ができること

電子書籍出版のための文章論については、どのようにしたら失敗するのか、教訓を伝えることができます。自分の体験を振り返って、才能がない上に努力も実らないイライラも、夢に裏切られる残酷な仕打ちも、伝えることができます。

立派な文章論については、私など及びもしない努力を重ねてこられた文筆家の方々にお任せして、私は自分が体験した教訓を伝えていきたいと思っています。もちろん、大学ですからそれだけで終わりません。学問の理論が根拠にあってこそ、体験を語る価値があります。

田んぼ

ところで、私、野望はまだ捨てていません。目標は変わりましたが、野望は野望です。しかも、20代の頃の野望より規模が大きい野望です。

「誰もが、誰かにとって価値ある情報を発信できる」。そんな教育。地方でこっそりと。

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