喫茶店という場所、雑な社会の者として
note化希望と言われたので書いてみます。
Xでは文章がざっくりしてましたが、来月から就労継続支援のB型作業所に通う利用者さんがうちのお店にインターン的に短時間働くことになっています。それと合わせたかの様に別件で不登校の子も働く流れになっています(こちらはまだ最後の調整中)
どういう経緯で?となるとB型の子(以下Bさん)は面識もあり、実はお店の荷物置きのカスタムを作業所を通じてその子がメインで関わっていました。荷物置きのカスタムが出来る度に納品に来てくれたのですが、その過程でうちで働きたいと支援員に話しをしていたそう。そこで支援員さんから打診もあり、改めて利用者さん本人から自分に「働きたい」と言ってくれ、やることを決定しました。
支援員さんとの調整も終わり、今週利用者さん本人と改めて話し、別でご家族の方とも話をさせてもらい連携しながらとりあえずは年末まで。進めていきたいと思います。
不登校(現在通級)の子(以下Tさん)は、繋がるまですごい紆余曲折あるけれど友人の友人からの相談で。という感じですね。不登校から若者支援と繋がり、このタイミングで本人の資質からの延長でうちに来るという流れ。こちらは月に2回ぐらいから始まって週一になっていけば良いかなと思っている。本人とはまだしっかり絡んでないけど仕組みを作れば何とかなるかとも思っている。
不登校やB型。その枕言葉がつくことで周りからは「どういう理由で?」と聞かれるんじゃないかなと思うのだけどもそれに対するアンサーとしては「経営的(売上)に負担になるという判断でなければ別に断ることでも無い」「ご縁だからね」の言葉で終わってしまう。
Bさんに関しては部分的ハードルあるけど接客に向いてるんじゃない?って思ったし。Tさんは一度会ったけどこれからの流れしだいかなとも思う。
現在月一でろう者の方が店員として動く「手話カフェ」をしていたり、境界知能である妻と一緒にイベント回したりしているので今更こういった枕詞が抵抗感があるハードルとも感じない。そも接してしまうと所謂健常者の人とやる時の仕組みと基本変わらないなとも思う。
ただこれにも条件はあって、それは自分の店が「自分1人で普段やっている」というのがある。多数の人との調整や確認が必用無い。マンツーマン、自分と相手の合意で全て決めれるというのが良い。合わせて自分がオーナーでもあるというのが強い。伴う結果責任が自分にかかるだけなので覚悟もコントロールもしやすい。
全体バランスが崩れやすかったり、最終決定権(結果責任を負う人)が違う人の場合はなかなか実現までに時間がかかるんだろうなと思っている。
自分の価値観も少し昔のものだったりしてるしね。
何だろうな、自分が色んな人と繋がる中で社会的弱者と言われる人たちと繋がることは比較的多いと思っている。その中で思うことは「社会的弱者」と「本人の資質が劣っている」と繋がってないと感じることはある。
単純に今の社会の求める基準が高い。自分の親、祖父母世代と話しているとその時代はもっと「雑であった」という確信がある。
昭和50年代ぐらいまでの大学進学率もまだまだ低いし、なんなら中卒で働くというのも普通。車も一般的になったのは万博ぐらいのタイミングだったろうし当然パソコンみたいな物も無い。単純化した分業制の時代でもあった。
それが今はどうか。大学が当たり前のように言われ、バイトであってもコミュ力・応用力の高さを求められる。一点特化よりもオールラウンダーを求められる。「澄んだ社会になることで表で生き残れる人が減ってしまった」様にも感じる。
話がそれてきたな。自分にとって今回の様に彼ら彼女らを雇うということはひと昔前ではよく見られた「親の店を子ども(や地域の子)が好きでもそうでなくても手伝って働いていた」あの環境と同じかなと思っている。
雇用・被雇用関係に雑さもありつつ、お客さんもその子を従業員としてだけでなく「街の子として包摂している」雑な関係の社会。
そしてそんな雑で曖昧が集まる場所が「街(地域)の喫茶店」だなと思ってるし、自分の店はその匂いが少しは付けれてるかなと感じている。なのでこの雇うという流れもいつか訪れる形だったんじゃないかな。
途中、取り繕った言葉で飾ってるなと文章読みかえして思ったりもしたけど単純にしちゃうとほんとご縁だからね。で収まるな。これ。
細かいことはええんよ。ご縁ご縁。