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30歳までの夢ー週末岐阜県民として生きる
※2022年8月6日にFacebookに投稿した記事の原文となります。
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社会人になり2年半経ちます。
ありがたいことに仕事は充実していて、
休みも楽しんで生きています。
一方「地元に貢献して生きる」という夢が、
数々の出会いで新たな夢に変わろうとしています。
ー地元岐阜県に何か貢献できる生き方を見つけたいー
これは30歳までに最も叶えたい夢でした。
新型コロナウイルスにより社会が変わるまでは。
移動という生活に当たり前だったものが、
悪と扱われる社会
移動を通じて地域課題の解決や生活の豊かさを
提供したいと願い、鉄道会社で働く私を否定する社会
海外旅行はもちろん、大好きな岐阜県に、
地元に戻ることもよく思われない社会になるなんて、
全く想像もできていませんでした。
好きだった地元は、
遠く離れた場所のようになってしまいました。
社会人としては前に進みつつも、
夢の実現には近づくこともなく2年間過ぎていました。
そんな中、私を変えてくれた出会いが2つありました。
1つ目はNHK連続テレビ小説「おかえりモネ」。
私と同じ1995年生まれの少女は、
東北で震災し「何もできなかった」と苦しみながら、
地元のために生きようと一度は上京、東京で自分にできることを見つけ、やがて地元に戻り奮闘する話。
幾度と共感し涙した作品。
『地元のために役立ちたい、という気持ちは変わらずあるが、それ以上にただそばにいたい、何かしたいと思えるようになった。』
と言い東京から地元に戻ることを決めた場面が印象的でした。
地元に貢献したいとか難しく考えて苦しまなくていい。
地元が好きとか、一緒にいたいという素直な気持ちを肯定してくれました。
この作品と出会ってから、自分と向き合い、
前に進みたいと思えました。
2つ目は岐阜県出身のリーマントラベラー 東松寛文氏。
激務の広告代理店で働きながら、社会人の週末だけで海外旅行に行き世界一周するというすごい人。
『会社員は最強の職業。そして時間の使い方を変えれば休日だけでも夢が叶う社会になった。』
という言葉に後押しされました。
休日を活用すれば、東京と岐阜くらい簡単に往復できる。
仕事も続けることができる。
しかも東京と岐阜の両方を知っているからこそ、
何かできることがきっとあるはず。
休みを最大限楽しみつつも、
自分の夢のために使おうと思いました。
そんな出会いがあり迎えた2022年、
「まずは岐阜県で活躍し影響力のある方々と会って話してみよう」
と思い、平日は都内で岐阜に携わる働き方をしている方々と、週末は岐阜県に行き岐阜を盛り上げている方々に会いに行き、話を重ねてきました。
県や自治体職員の方、移住された方、起業された方、地元でずっと暮らす方ー
たくさんの方々からお話を聞くとともに、自身の考えも伝えてみました。
『都会に住む地元の人がふらっと帰ってくるだけで嬉しいし、若い人がいるだけで盛り上がるんだよ』
『愛する地元は1つでも、愛し方ってたくさんあるよね』
そんな暖かな言葉をいただき、決心します。
ー平日は東京で働き、週末は地元岐阜県で過ごすー
"週末岐阜県民"として生きたい
自分の理想的な生き方、新しい夢を見つけました。
30歳までに岐阜県の全42市町村を訪問しながら、
地元が大切にしている人々や場所と関わる中で
もっと岐阜県のことについて知りたいと思っています。
東京にいるから分かることがある。
岐阜にいるから分かることがある。
ふたつ分かる自分だからできることがある。
この先どんな未来が訪れようとも、
今度は地元から離れたくない。
理想的な生き方を通じて、
自身の成長や地元の役に立てれば嬉しい。
でも1番は、自身の衝動や好奇心から
"岐阜県をもっと知りたい"
そうシンプルに生きようと思います。
東京で地元の話で盛り上がったり
地元で好きな方々に囲まれたり
そんな地元があるということに、
いまとても感謝しています。
そんな愛するふるさとを深く知り関わる中で
また新しい夢を見つけていきたい。
そんな生き方を始めようと思います。
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恥ずかしながらこんな宣言をしていました。
こんな自身の決断を応援してくれる人のためにも
そして自分自身のためにも週末岐阜県民を続けようと思っています。