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人生にもしも…なんてないけど ⑤癒し系 延命
相談員さんとの会話が途切れた。
「だけど、心臓マッサージってあんなにやせてて、骨粗鬆症でも大丈夫なんですかね?」
と聞いてみた。
「まあね…、でも大丈夫らしいですよ」と相談員さん。
母は失語でも、たまにニコッとするから癒し系と慕われていた。
私にも、母はとてもかわいらしく見えた。鼻筋のあたりは猫に似てて、食事介助でパッと口を開けると、ツバメの子のようだねって笑いながら母に言ったこともあった。
母が笑ってくれると嬉しくて、寝たきりの全介助でもそばにいてほしかった。母の存在は、私の精神的な支えだった。
だから、最期はすがりついて泣きじゃくるんじゃないか?と、受け入れられるのか?もぬけの殻になるんじゃないか?と心配だった。
人を看取った方の話を見聞きする度に、自分はどう受け止めるのかわからなかった。
なぜ、こんなに淡々としていられるのだろうか?
再び、沈黙。なんとなく距離をとって、椅子に腰かけた。
今、母の為に何ができるだろうか?
延命治療はしないと決めていた。
あの元旦の昼食後(③参照)、初めて母がけいれんで救急搬送になった後、かかりつけ医から「けいれんで命はどうこうはないけど、もしも…の時どうするか?決めておいた方がいいのでは?」
と問われた。
確かに、実際問題、何をどう決めればいいのかも、わかっていなかった。
渡された質問票を見ながら、
「母さん、食べること好きだから胃ろうは×よね。気管切開(よくわからないけど、調べたら人工呼吸器をつけるとか)これも×よね。」
「もしも…の時はもう寿命だよ。」
でも、それはまだまだ先という前提で家族の意思は一致した。
初けいれんから半年後のディサービス利用時に、再び救急搬送になった。
幸い、病院に着く頃には通常に戻ったけど、様子見入院になり、ベットの右側にはディサービスのスタッフさん、ケアマネさん、私が立ち、父が左側に立っていたが、母は父の方だけを見ていた。
「お母さん、こっちにも心配している人が3人もいるのにっ」
それでも、母は、ずーっと父にだけ微笑みかけていた。
「本当に父LOVEだね」