気持ちのサーモスタット
楽しくても、悲しくても、度を行き過ぎない。
自分の感情に流されずに、周囲の状況に合わせ、上手に落ち着いた対応が出来る。
どっしりと構えられるその姿は威厳に溢れ、このような人を見ると、本当しっかり者で、成熟した大人だと思う。
憧れだ。
私は感情の浮き沈みが激しい。
どん底まで悲しんだと思ったら、今度は飛び上がるような勢いで喜ぶ。
周りは私のことを「分かりやすい人だ」なんて言ってくれるが、実はこの気持ちの落差は身体的にも、精神的にも結構負担がかかる。
起伏を繰り返す度にエネルギーが大量に消耗され、いつもヘトヘトになってしまう。
ついに気分の波に翻弄されるようになり、普通に生活するのも一苦労になってしまったあげく、メンタルクリニックで双極性障害だと言われた。
そこで、自分は生まれつき「気持ちのサーモスタット」が上手く機能していないことを知った。
料理に火加減があるように、どんな場合においても、その場の雰囲気を一番良く出せる気持ちの加減がある。
同じ「楽しい」、「悲しい」という気持ちだとしても、状況によって度合いが違う。
例えば、遊園地で遊ぶ時の「楽しい」と、仕事が上手くいった時の「楽しい」は同じではない。
前者がよりハイテンションであり、後者はやや控えめだ。
私が苦手とするのは、こういった感情加減の調整だ。微妙な気持ちの違いが分からず、いつも「強」か「OFF」かの二択で感情表現をしてしまう。
つまり、つい遊園地並の「楽しい」を職場で全開し、相手を困らせてしまうのだ。
「悲しい」も同じだ。
些細なことでも、崩れ落ちるように絶望する。
自分でも、大したことではないと認識しているのにも関わらず、気持ちがドンと沈む。
これもまた、周りの人を困惑させてしまう。
行き過ぎた気持ちがその場を丸焦げにしないよう、心の変化に気を付けなければならない。
「気持ちのサーモスタット」が自動的に調整してくれたら良いのだが、それが出来ない故、自力で何とかしなければならない。
こうして、私は気持ちが高揚しそうになると、ストップをかけ、「火加減」を調整するようにした。
慣れないうちは大変だったが、嬉しいことに場の雰囲気を悪くすることが少なくなってきた。
ただ、ちょっぴり寂しくなった。
自然な気持ちを、
思う存分表現出来なくなったからだ。
まるで、本来の自分であることが間違いかのように。
でも仕方あるまい。
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