指摘と注意の受け入れ具合で伸びしろが変わる
大人になってから、
学生時代に比べ、
指摘してくれる人が圧倒的に減った
ということに気付いた。
最初の頃はさほど気にせず、「自分はこのままでもオッケーなんだ」なんて思っていた(なんと愚かな!)。
が、ある時になると、とうとう付けが回ってくるようになった。
いつの間にか孤立されていたり。
陰口を言われるようになったり。
話しかけると目をそらされたり。
そして困ったのは、
こうなってしまった
原因が分からない
ことだ。
教えてくれる人なんて誰もいない。
聞いても「何でもないよ」といった生返事しか返って来ない。
理由を知らないまま苦しい思いをし続ける。
これ程怖いものはない。
幸いなことに、私の家族は皆ストレートに物事を言うタイプで、近況報告する度に「あれはダメ、これは直せ」といったアドバイスをもらえた。
普段は別に注意もされてないことを何故毎回そうグチグチ言ってくるのかと、初めは不満だったが、回数が繰り返されるにつれて、ようやく分かってきたのだーー
「言われない」というのは必ずしも
「問題がない」ことではないということを。
「叱る」行為には膨大なエネルギーが必要だ。
気まずさに耐えなければならない。
人間関係が壊れる恐れだってある。
大事な時間だって削られてしまう。
必死に意見を伝えた後は、体力的にも精神的にもヘトヘトであることが多い。
且つ、人は自己中心な生き物だから、そんな面倒くさいことを買って出ることなんてあまりない。
そもそも教育義務だってない。
だからほとんどの場合は
相手の欠点を静かに見物するだけ。
そして耐え切れなければ去っていく、それだけなのだ。
ただ、時には本当に相手のことを思って指摘する人もいる。
これは滅多にないことで、こういう人は絶対に大切にしなければならない。
その人の本来の性格、所謂「お節介」な性格がそうさせていることもあるかもしれないが、
そもそも伸びしろが見込まれない人に、
わざわざ体力を削ってまで指摘する理由はない。
だから、ある意味
自分は指摘甲斐がある
と思われているからこそそうしてくれていることで、
如何なる場合でもまず
ありがたく受け入れるべきだ。
「〇〇を直した方が良い」と言われると、反射的に機嫌が損ねてしまうのは自然反応だ。
出来ればその場で心地良くアドバイスを受け入れられたら一番だが、そう出来なくても
事後は必ず気持ちを落ち着いて反省し、
自分を見直すこと。
これはとても重要だ。
この気持ちと向き合えた分、人は進歩する。
指摘と注意の受け入れ具合で
伸びしろが変わる。
私の場合はこれに加え、必ず指摘してくれた方に感謝の意を伝えるようにしている。
客観的に私の欠点を教えてくれたことに対するお礼と、「今後も出来れば続けてそうして欲しい」という旨を伝える為だ。
人生においては、一人や二人、こうズバッと言ってくれる人を傍に置いた方が良い。
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