ギフティッド児の激しさと、人との出会いの重要性(3)
状況を把握して以降、長男にも改善させるので、先生の方も歩み寄りをとお願いした際、長く沈黙されてしまった。その時の返事は「私にも進めたいと思っていること(授業)があるんです。でもいつも邪魔されているので」だった。
邪魔の意味には、物理的な妨害もあったのかもしれない。長男の問題行動も異常に増えていたし、そのほぼ全てが担任への挑発や反抗が目的だったと言っても過言ではない。
長男とこの担任との関係は話し合いの後も悪化した。
この年の学年がもう終わろうとしていた頃のある日、長男が屈辱的な表情と怒りを抱えたまま帰宅してきた。慌てて何があったのかと訊くと、一言、「あんな にやにやしながら、腕まで掴まれて、俺のことを こんなにおとしめようとする担任の言うこときいていたら精神が腐る」と言い放った。
書きながら、ゾウのはな子の話を思い出した。
その後の山川さんという飼育員との出会いが、とても心温まる。
長男と重なる部分が多くて驚く。一時は学校で担任に敵意をむき出しにしていたであろう長男が、学年が変わって新しい先生と出会ったら少しずつ心を開き、問題行動はゼロにはならなくても、各段と落ち着いて生活できるようになったのだ。
新しい先生:「すんなり聞けないとか、屁理屈言ったり、面倒臭そうにするっていうのはあるんですけどね。でも反抗してる感じとかはないなって思います。彼なりの軸があって、それで色々言うんですけど、最後はきいてくれてる感じもしますしね。あと、ほんと彼は見てて優しいなって思いますよ。それに授業でもやっぱり発言が際立っているので、それで一目置かれてたりもします。」と言ってくださっていた。
この先生は必ず「絶対理由があるはずなんですよ」と言い、長男が納得していないとか、集団行動ができない場合、押さえつけて叱るのではなく、まず理由を考えることをしてくださっていた。なんと有難いことだろうか。
また、長男は、WISCの結果、学校で支援員さんに時々みてもらえることになった。その支援員さんに長男はとてもなついていたようで、支援員さんの腕を自分の首に回すような仕草が見られたそうだ。
問題がこじれにこじれた時、鶏が先か、卵が先かはケースバイケースだと思う。しかしながら、今はまだ、学校で大きな問題が発生し、当事者がギフティッドと判明すると、やっぱりか、というようなレッテルがギフティッド児側に貼られるリスクが高いかもしれない。
大変なことがあったとしても、これからも長男にはいろいろな人と出会って学んでいってほしいと思っている。そして大人になった時にちゃんと居場所を見つけて、人とたくさんつながって生きていってほしいと思っている。
因みに、ゾウのはな子のストーリーは、「せかいでいちばん 手がかかるゾウ」という絵本にもなっている。タイトルに親しみがわく。
絵本を作り上げるまでのストーリーも一読をお勧めしたい。