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思春期のワタクシ

小学生~中学生の苦労

これは、まず勉強と家庭環境に尽きるかと思います。実は、1度同じ地域内ですが、転校経験があります。小学生3~4年ぐらいまでは算数は出来たのですが、分数になってから6年生ぐらいまでわからず放置していたことが後で、ある入塾テストでわかりました。

なぜ放置をしていたか?それは、一度転校して半年後に実母が亡くなったのです。急死でした。5年の途中から6年のGWぐらいまでは、全く父親とコミュニケーション取れておらず、家にも帰ってきませんでしたから、普段の生活にも精神面にも支障が来ていたからです。

その間、親戚と称する人達が身の回りの世話はしてくれましたけれども、父親からはネグレクトな状態に近い様子だとおとなになってからわかったことでした。けれども、お金はあったし、学校にも行けていたし、ご飯も食べれた記憶があるので、今色々と騒がれている家庭環境に比べたら、優しいレベルかもしれませんね。

そして中学生に上がる頃になりますと、当時は相対評価でした。%での評価なので、1は必ずいるわけです。相当勉強が出来ず遊んでしまう(机に向かう自習が出来ない)様子でした。それよりも、友達遊ぶ事に楽しさ、生き甲斐を感じていたと思います。親を亡くした悲しさは、いつの間にか大多数の友人に救われていたと今でも覚えております。

うちの中学校の謎の成績の付け方

これは、当時いた先生の影響かよくわかりませんけど、音楽と美術のみペーパーテストがありませんでした。音楽の先生は、とても厳しい女性。3年生になると担任になってくれました。ただ、歌や合唱に参加している姿勢を見せるだけで3でした。歌を歌わない同級生は2、1がゴロゴロいましたね笑美術の先生は、かなり変わった人でして、授業中ラジカセでロックをかけて自習型の作品制作を重んじる人でした。精一杯やったんですが、何故か1を付けられて進学する前は、恨んだものです笑

また、他の教科も平均点が高い場合(例70点だとして)76点、80点を取っても成績が3,もしくは2というケースもありました。自分のクラス(例C組が受け持ちだとして)の生徒を優先的に4と5を付けている疑惑が当時親の間で騒がれて、文句を言われた先生もいましたね。

今でも連絡を取っている麻酔科医がいるんですけど、彼はトップクラスの偏差値(後に開成進学で、慶應義塾が滑り止めの人)でしたけれども、こんな変な中学だったので、数学と英語と音楽と体育だけ5。それ以外は4でした。今でも変な付け方だよな~と爆笑するネタでもあります。

通っていた塾について

当時、うちの地域にあった塾は、A塾(元教師が経営している小さい所。出来ない生徒が多い)、B塾(優等生が通う教師同士が仲が悪く、一部教師がパワハラが酷い。)、C塾(地域密着型だが、出来ない生徒をカバー。)、D塾(大手。大学付属、国立や公立トップ志望しかいかない)がありました。

所謂、非行に走りやすい生徒、勉強が嫌いな人がA塾、まあまあ勉強出来て学級委員やりそうな人がB塾。先程の麻酔科医が通ってたD塾など、それぞれ役割分担が出来てました。

私は、小6から中1まで駅前の個別指導塾に行ってましたが、成績が上がらず親が心配していたので、ある程度基礎を終えた段階からC塾に行くことになりました。今でも覚えています。入塾テストの日です。見た目が怖いA先生(オールバックで、眉なしなので)が案内してくれました。

一緒に受けた別の中学の人もいました。この塾は、模試テストでクラス分けをしており、300点満点中、200以上でSクラス、150でAクラス、100点でBクラスとして向かい入れる様子でした。3年生になると、合格ラインが上がりましてさらに厳しくなったと聞いてます。この一緒に受けた人は、見た目が優等生ぽい七三分けの頭が良さそうな雰囲気でしたので、「あーSクラスなんだろうな」と勝手に決めつけておりました笑

模試テストは、思ったより難しくて、試行錯誤の上3教科をやってました。途中、優等生が「終わりました。先に失礼します」と会釈してきたので、「やば!これは、マズイ」とギガンテッ○プレッシャー(ある格ゲーの超必殺技)張りの焦りが来てしまいました。

その15分後ようやく終えて、採点待ちをしてました。まるで高校受験での合格待ちかのような緊張感を覚えています。

入塾テスト結果について

先程の優等生がテストを終えてから他の部屋から出てきません。帰ったのかな?と不思議そうにぼさっとしていたら、ドアが開きました。強面のA先生から「智聖!合格。しかし、君ギリギリセーフだったぞ」どうやら、国語60点、英語30点、数学が15点だったようです笑

Bクラスは、当時100点取れれば合格ラインのようで、いずれも理想はそれぞれ50点近くあると良かったと聞いています。ホッとしたのもつかの間、先生に聞いてみました。「さっきの彼は、Sクラスですか?」

すると、「いや、彼は残念ながら・・・」

頭が真っ白になった瞬間でした。なんせ自分が落ちるよりショックだったからです。どうやら、早く終わったのは簡単で仕上がったのではなくて、模試に手をほぼ付けずに退室した様子です。採点したら、全て一桁だったとか。

「人は見た目で判断してはいけない。」と教わってはいましたが、我が中学校にいるタイプだと公立トップに進む見た目と振る舞いだったので、本当に驚きました。

後日談で、思い出し笑いする話でしたけど、当時は変な怖い話や肝試しよりも、トラウマになるぐらい怖かったんですよねえ・・・。しかし、入塾後は、さらなる展開が!(ガチンコ風)

続きます。


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