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チバユウスケがいない世界

チバユウスケが死んでしまった。

死ぬ?チバが?? この世界からいなくなった??
未だに私はこの圧倒的な事実に向き合えていない。

いやおかしいだろ、チバはずっとずっと、がなりながらギターを掻きむしりながら、ステージを降りればクシャっとした可愛い笑顔で、常に私の人生の先を走っていてくれるはずだろう。

否、そんなことは無いのだ。チバは私よりもずっと歳上だし、いつかは訪れるものなのだ。そしてその"いつか"が、今、訪れてしまったのだ。

私は懸命にただ受け入れるしかない。わかっている、そんなのはわかっている!でも、、、
もういい。チバは死に、私は生きているのだ。

ここから、私にとってどれだけチバユウスケの存在が大きいものだったかツラツラと書き始めよう。どうにか心の置き所を作り始めよう。


90年代地方の田舎で育った10代の私は、おそらく田舎のどこかには何人かはいたロックンロール被れの、スレた若者だった。セックス・ピストルズ、ジャム、ニルヴァーナetc.をMDに録音し、ウォークマンで登下校中も、なんなら授業中も聴いていた。今なら完全に不良だし、でもだからこそそんな自分が好きな、The90年代の若者だった。
当時は洋楽こそ最高で、日本人にロックンロールなんて作れるわけがないと(ピート・タウンゼントの言う通り)、日本人でありながら思っていた。
そんな私に降ってきた、チバユウスケ。ミッシェル・ガン・エレファント(以下ミッシェル)。

忘れもしない。当時音楽を楽しむというよりもバラエティを観る感覚でボーっと眺めていた、ダウンタウンがMCを務めるHey!Hey!Hey!というテレビ番組だ。

シルバーのスーツでビシッと揃えた、細身で見た目がかっこいい4人がいるなあ。あーこれが今噂のミッシェルかあ、と文字通り眺めていた。名前だけは当時の音楽雑誌で取り上げられまくっていたので認知していた。トークが終わり、演奏シーンに入る。曲は「バードメン」。

そのときの衝撃は凄まじいもので、明日の部活の為に食べていた夜食の箸がいつの間にか止まっていた。

まずバンドとしての演奏の荒々しさとオーディエンスの熱狂。それが一発目の弾丸だった。
そして二発目は、ヴォーカリスト・チバユウスケのその"ロックンロール"以外に例えようのない、ザラザラしてしゃがれていてそれでいて強い歌声。完全にやられてしまった私は、すぐにリリースされたばかりのアルバム「Chicken Zombies」(彼らにとってメジャー3作目となる作品)を買いに走った。

そしてアルバムを聴いてまず一番驚いたのは、チバの描く歌詞である。

どの曲も抽象的かつ散文的で、言葉はわかるが意味がわからない。これが当時私の心に強くクエスチョンマークを植えつけた。なんなんだこの違和感は。でもこの感覚、これ感じたことがあるぞ……。
初めてビートルズを聴いたとき、ピストルズを聴いたとき、CDに付録されていた和訳を読んだときの感覚だ。

勿論それは日本語に訳したものなのだから、翻訳する人によって意味も変わるし、受け止め方も違うからそうなる。しかし私はそれが好きでだからこそ洋楽ばかり聴いていた。

そう、その違和感とは、初めて"ロックンロール"を聴いたときに感じた違和感そのものだった。

同じ日本人からこのフレーズが生まれるのか?それって、凄いことじゃないのか?と、私は打ちのめされた。

「じめる うなだれ つまさきで/ひとめ見たならあとはトぶだけ」 

どういうこと?飛び降りでもするのか??

音楽評論家・田中宗一郎の言葉で、「優れた表現者とは、聴き手の地位や身分やジェンダーや社会的役割などを軽々と飛び越え、どのような立場の人間にも開かれた表現をする者である」(注:細かいニュアンスは失念、ごめんなさい)というのがある。私は当時氏が編集長を務める雑誌SNOOZERの読者であった。

ああ、まさにそれだ。チバユウスケの歌詞は、田舎者のスレたどうしようもないクズである10代の私にぶち刺さった。

「川の向こうで煙が揺れる/しわを寄せては気温が上がる/大したものはないだろという/それでもいいとあの娘は笑う」

とにかく我武者羅に聴きまくり、その散文的な中の風景描写や瞬間の心象の切り取り方、美しさに気付かされ、私は虜になった。あの曲のあのフレーズ、こういう気持ちのときに浮かぶんだ!と自分勝手に自由に解釈し、「私が世界で一番チバをわかっているぜ」とキショい笑顔を浮かべひとり悦に入ったりしていた。

その後のミッシェルの快進撃は書く必要はないだろう。Mステタトゥードタキャン事件、フジロックでのステージ、アリーナでのオールスタンディングライブ。今でも語り継がれる伝説の数々。

そして解散。アベフトシの死。このときも私は酷く狼狽したが、チバユウスケはROSSOで既に大傑作1stアルバムを作り上げていた。

「冬の星に生まれたら/シャロンみたいになれたかな/ときどき思うよ/ときどき」

ROSSOの代表曲のひとつである「シャロン」。その歌詞において、再度登場になるが田中宗一郎氏の解説を読み、私はチバユウスケに畏怖の念を抱くほど感動を受けた。
(田中氏の解釈については調べてください)
この曲に対して、私は時を超えて通する意義があると考えているので少しばかり書かせてもらう。

2023年の今。イスラエルパレスチナにおいて毎日、悲惨な、命の価値、人間の尊厳を平気で踏み躙る目を背けたくなる惨たらしい現実が、今、今繰り広げられている。
Xのタイムラインを眺めながら私は毎日心が引き裂かれている。
「シャロン」という楽曲は、約20年前から(正確にはもっともっと前から)こうしたことは続いているのだ、と今でも突きつける。


でも、でも、シャロンみたいになりたいときだってあるよ。私は。ときどき。


この人間の持つ感情のグラデーション、揺らぎ、対抗分立。自分の中にもはっきりとそれがあるのだと、この曲は何度も突きつけて、自分を目覚めさせてくる。

そんなの、言葉にできないよ。言葉にしたくない。

でもチバは言葉にしたのだ。勿論それは受け取り方次第では全く違うものになるし解釈は自由である。
だけど私はやっぱり、どうにか続くこの生活の中で、このチバの歌詞のおかげで、正気をなんとか保てている。どうにか2本の足で立てている。

あのさー、チバユウスケさあ。死んでどーすんのさ。これから私はどう生きたらいいんだよ。


「アスファルトからロンドン・パンク聴こえてた/立ちたくなかった/どうにでもなればいいって」

The Birthdayをチバがやるころは私は社会人になり、音楽の聴き方も変わり、そこまで追っかけてはいなかった。クツが片方どっかにいったまんま大人になっていた。

チバの死後、バースデイの作品や、SNAKE ON THE BEACH名義のソロ活動の作品を聴くと、ミッシェルの頃からは考えられないような理解し易い正直な歌詞に変貌しており、チバも人生を歩んでいたんだな、という当たり前の事実を知る。

そして、駆け抜けて行ったのだな。


長々と書いてしまった。ただ書いてよかった。

チバユウスケのいなくなった世界を、これからも残るその作品と共に、生きていこうと思う。

ありがとうチバ。大好きだったよ。この先もずっと大好きだよ。

2023年12月15日

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