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東京から戻って気がつけば風薫る5月・・・「学習とは」の沼にはまる

帰ってきてから初日の心理検査レポートをせっせとまとめていた。このレポートが太平洋を渡ると思うと・・・。ついつい新島襄の気分に。久しぶりに頭をたくさん使った。が希望する合理的配慮が叶えばいいのだが。彼には,映像のクリエーターとして夢を実現してほしいね。儲かったらカリフォルニアに招待してくれ(笑)

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成長した子どもたちと出会ってパワーをもらったはずだった。「よーし」と思ったのだが,怠惰な生活から抜け出せず。

文句を言いつつ講義(学習障害と障害児保育合わせて2.5コマ)とギフ寺の週3勤がスタート。

真面目に講義の準備をとゲームと異世界ファンタジーをしていたら4月が終わる。

講義の後は,動物園,円山登山,「狸二条酒まつり」そして花見を楽しんだ。

色々考えていることは,X(旧Twitter)でつぶやいているが,なかなか思考がまとまらない。

愚僧の臨床研究のテーマは「giftedの知的機能と社会性」なのだが。

実は,今考えているのは「知能とは?」「学習とは?」「普通とは?」と,なかなかこあえて見えてこない,厄介なもの。

例えば学習障害は,読み書き計算の習得と使用に著しい困難を抱える。とすると,運動の習得と使用に困難を有する協調運動障害も「学習障害」なのか。愚僧は音楽知能が欠落しているから音楽の習得と使用に困難を有する。となると「音楽」という領域の学習障害となりうるのか。そして特別支援の対象となりうるのか。

学習障害と言った時の「学習とはなんぞや」

愚僧の考えるには,競技のアカデミックスキルだけではなく,運動や音楽さらには日常生活を含めた領域での習得と使用に困難を抱えると。

ボスは「慣れ不全症候群」と言葉を使って説明したが,学習だけでなく日々の生活で慣れが生じづらいと考えるとわかりやすい。

90年代に彼らと付き合い始めて浮かんだ言葉が「積み上がらない」・・・学習だけでなく日常生活も。

ASDのある子どもが失敗すると「○◯は学習能力ゼロだ」と言っていた。保護者が彼に何度も繰り返した言葉だったようだ。

知能との関連で境界線の知的機能群を含めて知的障害についても再考している。

まとまりそうもないけれど。まあ考えることが大事。

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