ギフテッドを知らないことには援助は進まん
老働強化月間も残すところあと2週間。終わりが見えてきた。並行して講演の準備をしている。相変わらずだらだらなのだが。
高知から帰ってきたら怠惰な生活が待っている。
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講演の話になるのだが,25年前に土曜教室を始めたのは学習障害の子どもたちの臨床研究が目的だった。スタート時は,🐻ドクターから「面白い子供がいるよ」という紹介でメンバーを増やしていった。
時期的に学習障害というよりADHDやASDを併存しているしているケースが多くみられた。その中に優秀知の子どもがいた。ユニーク等言葉がピッタリ。直接指導に入る場面はなかった。北大では院生や学生が対応していた。その都度必要な場面でサポートに入っていた。
振り返ると,優秀知(高い能力)に注目して困難さを見落としていたと思う。高い知的能力があれば,多少苦手なことがあってもカバーして余りあると考えていた。
しかし,学童期は対人面や行動面でうまくいっていないことがたくさんあった。高い知能があれば多少のことは乗り越えられる・・・高IQに対してバイアスがかかっていた。
土曜教室での臨床研究を踏まえて,支援級で知的ギフテッドの生徒の援助に取り組んだ。個別の支援は可能だったが,中学校では教室が居場所とはならなかったし,社会性を育組む場とはならなかった。
ギフテッドがイメージできていなかったからトータルな援助ができなかった。
「ギフテッドをわかっていない」そういうこと。
援助実践や臨床研究に関わったからこそ,少しずつギフテッドの姿が見えてきたかな。
ギフテッドを知ることが援助へと繋がっていく・
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