旅の記録#38 山口県 錦帯橋のようにつながる縁
海の見える街から北西へ、海沿いの街から山中の道をずんずん進んでいきます。ねぶた祭りで知り合った方が経営しているライダーハウスを目指していきます。この日の天気予報は雨。予報通り途中で雨に見舞われましたが、だんだん上がって目的地に着く頃にはすっかり上がっていました。
静かな田舎の住宅地にあるライダーハウス
ねぶた祭りで名刺をいただいた方のライダーハウスが山口県にあったなと思い、山口県に来たら行ってみようと思っていました。少し高台にあるそのライダーハウスは、畑と烏骨鶏を世話しながら営んでいる、長閑な雰囲気の所でした。行った時に会ったのは本人ではなく管理をされているご家族でしたが、同じタイミングになったライダーさんも優しく、旅の情報交換をしたりと楽しい時間となりました。
実は、ここで出会ったライダーさんと後に広島でも遭遇したりして、すごい偶然にびっくりしました。大阪に続いて、旅で出会った縁が旅の行き先や他の旅人さんと知り合うなど、旅という主軸から別の何かに繋がっていくのって面白いですね。
美しい建築美の錦帯橋
山口県で有名な場所で探していて、目に止まった場所です。迫持式(せりもちしき)という世界的にも稀な構造を使って作られている錦帯橋は、国の名勝に指定されている木造橋で、岩国3代藩主吉川広嘉が建造しました。その後、幾度も錦川の洪水によって流失しますが、市民の強い要望によって1953年に再建され、その後も劣化した部分を架け替えるなどの修復を経て今日に至っています。
日本最初の天神さま防府天満宮へ
藤原道真公をお祀りした神社は、国内に1万2千社あり、代表的な天神さまでは太宰府天満宮・防府天満宮・北野天満宮があります。防府天満宮はその中でも最初に創建された天神さまと言われています。
防府天満宮のいわれは、後に学問の神様として祀られる藤原道真が無実の罪で九州太宰府へ左遷される時、西下の途中に最後の寄港地として周防国(山口県)の国司を頼り、「願いが叶うなら、天皇のおられる京の都からまだ地続きであるこの松崎の地にて住まいを構え、無実の知らせを待ちたい。」と願ったそうです。その後太宰府にて薨去(皇族・3位以上の人が亡くなられること)された時、防府勝間の浦に神光が現れ瑞雲がたなびいて人々を驚かせたことから、国司や里の人々は道真公の御霊魂が願い通りこの地、松崎に帰ってこられたと悟り「松崎の社」を建立したのが防府天満宮の始まりだそうです。(下記公式サイトより意訳引用)
神社の由来を読むと、祀られた人・それに関わった人の思いが見える様ですね。
青森から知り合った縁が、日本列島を渡って端の山口県まで繋がりました。旅をしていると、何かしら情報をいただいて教えてもらった所に行くことはよくありますが、今回のライダーハウスは特別、自分の中で行こうという気持ちを持ってた気がします。
錦帯橋はその造形美にただただ、見惚れる名勝でした。地元にはない景色に出会えるという旅の醍醐味をまさに表す場所だなと感じました。
旅は中国地方、山口県を折り返し地点として広島に向かいます。