旅の記録#40 岡山県 白壁のワクワクする路地
広島県尾道市から次は岡山県へ向かいます。ちょうど雨が降っており、尾道市で一旦泊まっても良いかと思いましたが、先の予定が決まっていたので、レインウェアなど各所を防水装備にして覚悟して向かいます。結果的にずぶ濡れにはなりましたが、運転に支障が出る程の豪雨ではなかったのが幸運でした。
岡山県では、倉敷美観地区や吉備津神社を回ってきました。真庭市の「ぱっくんはんざき」にすごく行きたかったのですが、折り返しの時にしようかなと思います。
今も残る白壁の美しい街並み
倉敷美観地区は寛永19年に幕府の直轄地(天領)になり、後に代官所も置かれました。また倉敷川河畔で取れる米の集散地として賑わった流れから商業の中心として発展し、豪商の商家が建てた建物が現在の街並みの原型となっています。さらに明治に入ってからはモダンと呼ばれる洋風建築の文化も入ってきたことで、独特のムードあふれる街並みを形成していきました。(倉敷観光WEBより意訳)
また、倉敷児島地区の干拓地では塩分に強い綿の栽培が行われたことから、繊維産業が興り、学生服や足袋製造の産業を経て昭和40年以降のデニム・ジーンズ産業につながり、現代の倉敷デニムブランドへと発展していきました。
鬼退治の原型が伝えられる吉備津神社
岡山県といえば桃太郎伝説が有名ですが、吉備津神社にはその原型となった、鬼退治神話が伝えられています。
百済の国の王子「温羅」という見た目も恐ろしく背丈も大きい者が足守川の西の新山に住みつき、周辺に住む人々に乱暴していたそうな。そこで、時の朝廷に助けを求めたところ、キビツヒコという者が立ち向かい弓矢で応戦し、温羅が雉となって逃げれば鷹となって追いかけ、鯉となって逃げれば鵜となって追い詰め、ついに退治した。というお話です。(公式サイトより意訳)
その神話が伝わる吉備津神社は、本殿拝殿が「比翼入母屋造」という千鳥破風を二つ並べて全体を桧皮で葺き上げ、一つの屋根にまとめた大胆な構造で、全国にもここだけであるため、「吉備津造り」とも呼ばれています。
岡山県の次は海を渡り、四国を目指します。四国はどの県も未踏の地なのでとても楽しみです。四国といえばなんでしょうか?うどん・みかん・阿波踊り・鰹のたたき…。もっと調べて臨みたいと思います。