元不登校が社会について考えていること 第1回目
みなさん、こんにちわ。
絶望(元)フリーターです。
今回からタイトルにもある通り、元不登校だった私が現在、思ったり考えたりしていることをお話ししていこうと思います。
第1回目の今回は、軽く私の経歴を交えて不登校時代から高校を中退してフリーターになるまでの話をしていこうと思います。
始めに、私は不登校支援に携わったり、専門的な知識のある人間ではないです。あくまで、いち個人が不登校を経験して子供でなくなった今の考えを述べているだけですので、それをご留意して読んでいただければと思います。
私の不登校の始まりは幼稚園のころまでさかのぼります。
不登校というより不登園ですかね。
入園当時から幼稚園の建物に入り、母親が離れると強烈な不安から大きな声で泣いていました。
恐らくこれは経験した人も多いと思いますが、私はこの泣きグセがなかなかせんでした。
そして月曜日は必ず、休んでいた記憶があります。20年以上も前の事なのであまりははっきりとしていませんが、当時から、学校に繋がるそういった組織に苦手意識があったのだと思います。
それでも火曜日から幼稚園に通っていました。まだこのころは友達もいた(と思う)ので、友達と遊ぶ楽しみから通えていたのかもしれません。
そして小学校に上がりました。一年生の始めのころは幼稚園時代と変わらず月曜日は休んでいましたが、火曜日からは学校に行っていました。
しかし、恐らく2学期に差し掛かるころ、学校を休む日が増えてきました。
火曜日、水曜日、木曜日、一週間と、家にいる日が段々と多くなっていったのです。
二年生になるころには、まったく行かなくなりました。
しかし、三年生のときには当時の先生に自分が学校に行きたくないという気持ちを理解してもらうことができず、ベテラン教師ということもあってか、強い言葉や語気で登校を促されました。
よく覚えていますが、当時の私はそれがとても怖く、先生の怒号にも似た声を聞きたくない一心で何とか学校に通いました。
どうしても学校にいけない日でも家に電話がかかってきて、「体調が悪くないのなら学校に来れるでしょ!」と恐らく電話の向こう側で、鋭い剣幕で話す先生がとにかく怖く、子供ながらに体を引きずって午後から登校したりしていました。
そんな理由では長くは続かず、登校への苦手意識を持ったまま四年生にあがると、再び学校を休みがちになり、その当時同級生が大けがした現場に居合わせてしまったショックがあったりと、一年も経たないうちに不登校に戻りました。
その後は週1回程度、放課後に学校へ訪問するぐらいで全く登校することが無くなりました。みんなが下校した後でも、学校へ行くのは緊張していた記憶があります。
当然、卒業アルバムに写真は写ってませんし、アルバム自体を持っていません。
中学校に至っては入学式から卒業式まで一度も登校した日はありませんでした。
学生服、いわゆる学ランも一度も着たことがありません。おそらく多くの方はここで初めて経験するであろう、人の上下関係も私は経験せず、16歳でフリーターになるまで知りませんでした。
中学3年生の卒業目前になると、学校側から進路相談ということで呼び出しがあり、2月の上旬ごろ、初めて中学校の校舎の中に入りました。
そこで担任の顔を合わせ、母を含めた三者面談のような形で私の今後についての話がありました。結論は、1年前に兄が通信制の高校に編入したこともあり、同じく通信制高校に進学することでまとまりました。
この時、担任の先生の印象は、「先生」というより「他人の大人」という感じでした。
そして、通信生高校へ進学し、約6年ぶりの学校生活が始まりました。週2回のスクーリングと各科目週1回のレポート提出が、主な勉強内容です。
入学式がおわり、教室に行くと同じクラスの同級生と――近い年齢という訳ではなく、老若男女職業様々な人がいましたが――顔を合わせました。
色々な事情があり、多くの人と違う経緯でこの通信制の学校に入学してきた人たちだったので、似た境遇の私とは不思議と初対面でも打ち解けました。
スクーリングは、自分でも「不安にならないかな」という心配がありましたが、思ったよりも問題なく、一日通して学校にいても特に影響があることはありませんでした。
そんな生活が半年間続き、一学期の単位を取得し、少し遅めの夏休みの途中のことです。
学校が再開される2週間ほど前になると、何故だか学校に行くことの不安がどんどん大きくなっていくのが自分でも分かり、休みが明ける前には、小学校の時と同じように「学校に行きたくない」という気持ちが心を占めていました。
そして、2学期の授業が始まっても学校に行かない日々が続き、一定期間出席が無ければ自動退学となる学校のシステムが適用される形で私は通信制の高校を中途退学となったのです。
では、私はそこで16歳無職……ということになったのかというとそうではなく、学校を辞めた時には既にフリーターになっており、家の近所のコンビニでアルバイトをしていました。
先ほども少し書きましたが、私はそこで初めて人付き合いでの上下関係を経験し、学校生活で得られたはずの他人と関わる経験の数、その乏しさが原因で起きる困難から、中卒・高校中退という経歴が、どういう目で見られ、どういう足かせになるのかというのを身をもって体験していくこととなります。
次回は、フリーター時代から、地元を出て東京で仕事を探し始めた時、初めて中卒・不登校という肩書がどういう目で見られるのか経験した話を書いていこうと思います。
何だか長編になりそうな気がします。