面倒くさい
こんにちは。絶望フリーター1年目です。
みなさん、「面倒くさい」と思うときありませんか?
ありますよね。
何かを始めだすとき、前の印象から手間のかかることに直面したときとか。
はじめの一歩が一番大事、といいますが、人間は変化を嫌ういきものなので
初動が一番重く苦しいと感じるように体が作られているそうです。
私は、人一倍面倒くさがりなので何事も第一印象は
「面倒くさい」と感じます。
ですが、最近ふと面倒くさがりな自分の「面倒くさい」についてちょっと考えてみました。
私にとって「面倒くさい」とは厄介なものです。
こんな感情最初からなければいいのに!
と思うほどどんなときにも、目立ちたがりのようにひょっと顔を出し、隙あらば思考回路にグッと体重をのせてきます。
良く寝たばかりの元気なときなら、跳ねのけることは難しくありません。しかし一日の終わり、特に残りは自由時間! というときには、
「面倒くさいなぁ……今日はもう寝ちゃうか」と語りかけてくる甘い誘いに負けてしまいがちです。
そうして、勉強や自分のやろうと思っていたことをふっと記憶の彼方にさらっていき、翌朝に後悔だけを置いてどこかに行ってしまいます。
困ったもんです。
しかしそんなことばかりも言ってられず、頭を悩ませているときにどこからかこんな疑問が自分に降ってきました。
この「面倒くさい」ってどれほど大事? と。
勉強や仕事において、面倒くさいなぁと思うのは多々あることだと思います。
しかし、いくらいやなこと・つまらないことでも、楽しいこと・好きなことでも、知識や経験には得ることによって生まれる可能性が等しく存在しているものだと思います。
つまらないことなら、「なるほど、こういうことはつまらない。ではこういう風にしてみてはどうだろうか?」
楽しいことなら、「これと組み合わせたり、ここを変えてみたらもっと楽しくなるかも」と言った具合ですね。可能性の大きさはわかりませんが。
その可能性で何ができるのか。得たその時点で判断するのは中々至難の業だと思います。
ですが、知識や経験は覚えていれば消えることはありませんし、何かメモに書き残しておけば忘れてもその時のことを思い出すことができます。
そうして、インプット(刺激の入力)とアウトプット(刺激を再構成して出力)を繰り返し、試行錯誤していくことで、必要な時間には個人差があるものの結構いろんなことができるようになるものです。
そこに目標・目的があれば、達成感だったり幸福感に繋がるのかもしれません。
決して自分にマイナスになるものではないはずです。
全く価値が無いものではないはずです。
こうした素晴らしい結果をもたらす可能性ごと、根っこから絶やしてしまう一瞬の「面倒くさい」に従うことに、いったいどれほどの価値があるものでしょうか?
自分自身に質問を投げかけたとき、1時間ぐらい考えてみましたが全く価値が見つけられませんでした。
確かに従うことで楽はできるとは思いますが、別に「面倒くさい」だけに従うだけしか楽できる手段が無いわけではありませんし。
今まで「面倒くさい」そのものばかりを見て判断していたのが、周りにある「面倒くさい」の形を浮かび上がらせているものに目を向けることで、この厄介なやつの扱い方を理解できたような気がします。
イメージとしては人型の黒いシルエットがあるとして、その周りの白い背景に目を向ける感じです。
面倒くさいことそのことよりも、その周りに何があるのかを観察してみるというのを心がけています。
……ということで、今回は誰しもある厄介な「面倒くさい」の対処方法について私の捉え方を書いてみました。
何かの参考になれば幸いです。
ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。
次回の記事も見ていただけると嬉しいです。