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ウルトラマンのオーディションを受けて~「人間ウルトラマン」として生きる決意~

皆様、こんにちは。
以前僕が上げた須賀川の記事では、そこの円谷英二監督やウルトラマンにまつわるスポットを中心に書きました。

今回は僕自身のウルトラマンの原体験と、僕が高校の頃から行っていた、俳優活動の中で受けたウルトラマンのオーディション、そしてそれを振り返った上で考えているこれからの決意について話していきたいと思います。

※なお、僕自身のデリケートな話も多く含んでいるので、読む際はご注意ください。
それでも最後まで読んでいただけると幸いです。


ウルトラマンの原体験

僕はアメリカのシカゴに2歳から9歳まで住んでいて、そこでウルトラマンシリーズのVHSやDVDを何度も観ていました。
世代としては、4歳~6歳の頃に観ていた『ウルトラマンネクサス』(04年)、『ウルトラマンマックス』(05年)、『ウルトラマンメビウス』(06年、以下『メビウス』)が特に思い入れがあります。
この中で、『メビウス』が一番僕の好きなウルトラマンです。

アメリカに住んでいた頃の幼少期の僕の写真。『ウルトラマンダイナ』(97年)のパジャマを毎日着ていました!

ウルトラマンシリーズを観て思ったのが、『ウルトラマン』(66年)~『ウルトラマン80』(80年)を中心とする「昭和ウルトラマン」は基本のフォーマットとして、一話完結型のストーリーの中で展開される、話数ごとによってそれぞれ違う監督や脚本家などの手で描かれる寓話的な内容があるところが見所です。

対して『ウルトラマンティガ』(96年)~『メビウス』を中心とする「平成ウルトラマン」は、ウルトラマンが人々から応援、支持されて「光の巨人」として怪獣に立ち向かう姿と、その一方で主人公が一人の人間として戦いながら苦悩、葛藤を経て成長していく、いわゆる「人間ウルトラマン」のキャラクターの描かれ方は、物心つく時から惹かれ、一生忘れないものとなりました。

また、それ以外に惹かれた理由としてシカゴに住んでいた頃、そこでは自然環境が豊かで一緒に遊べる友だちも多く、楽しい日々を過ごしていました。
しかし日本に帰国した後、環境が大きく変わったことでカルチャーショックを受け、同級生や先生からの暴行や言葉による暴力などもあり、小学校4年~高校1年の間、断続的に不登校を経験して体や心を崩し、適応障害や不安障害にかかりました。
帰国した直後には、同級生から帰国子女ということで偏見、排他的な目で見られ、自分が日本人なのかアメリカ人なのか、何者かわからない感覚になり、大きな葛藤を抱えました……。

そんな苦しい時に、ウルトラマンシリーズを通して描かれている人間と宇宙人の狭間で葛藤、成長を遂げていくウルトラマンの姿を見て帰国子女で不登校になった僕は、そこに共感を感じました。だからこそ、ウルトラマンには強く没入し、今でも最大のアイデンティティとなっております。

それから僕自身も、子どもたちに夢や希望を与えるようなウルトラマンの主人公になりたいと思いました。ウルトラマンの主人公になれば、不登校の時から受けていた心の傷から立ち直れるかもしれない、という想いもあり、よりその決意が強くなりました。

ウルトラマンのオーディションを受けて

高校の時にウルトラマンの主人公になるべく、芸能事務所に所属しました。
所属している時に『ウルトラマンR/B』(18年、以下『R/B)の主人公(兄弟の内、弟のイサミの方)のオーディションを受けました。


ただ結果的にはオーディションに落ち、様々な想いを抱えました。
ウルトラマンのオーディションを受けたという、貴重な体験の嬉しさ、喜び、反面落ちたという悔しさ、苦悩など……。

オーディションでは、自己紹介をやった後、今回の主人公が2人の兄弟ということで、オーディションを受けにきた参加者同士で、兄弟の台詞の掛け合いなどを行いました。

自己紹介では、

「僕は以前住んでいたアメリカから日本に帰ってきた時、環境の激変によるカルチャーショックやいじめなどで何度も挫折を味わいました。そんな時、小さい頃から観ていたウルトラマンが心の支えとなり、ウルトラマンになりたいと思うようになりました。
そしてウルトラマンになって、かつての自分と似ている境遇の子どもたちを含めて、多くの子どもたちが10年、20年経っても大好きと思えるような作品に貢献したいと思い、ここまで来ました。よろしくお願いします。」

と、答えました。

これは、僕が不登校になっていた時、心の支えになっていた、ウルトラマンに対する想いと黒部進さんや森次晃嗣さんをはじめとする過去作品でウルトラマンに変身する役を演じられてきた方々の今までインタビューやメイキングなどで仰っていた考え・言葉の影響が大きく残っていたことから来ています。
一役者の端くれに過ぎず、経験も浅かった未熟者の僕ですが、そういった目標にする方々の言葉を受けて、生涯かけて培ってきた想いを込めたのが上記の自己紹介でした。

しかし後になって振り返ると、(あくまで僕個人の視点では)『R/B含む今のニュージェネレーション(以下、ニュージェネ)は、一つの「作品づくり」として取り組んでいる以上に、ブランドとしてシリーズを継続していく、「番組づくり」の傾向が強い印象です。
もちろん、そのニュージェネの中では、従来のウルトラマンにはなかった見所ある作品がつくられたものも数多く、恐縮ながら、僕も一視聴者として楽しく観させていただいております。

ただ現行作のスタッフは、10年、20年経っても視聴者に大好きと思えるような作品をつくろうと意図しているとは限らず、結果論としてその後、視聴者の心に残るようなものが残るだけかもしれない、と考えました。
だから、僕が言った自己紹介の言葉が現行のウルトラマンの番組づくりに対して方向性的に合っていたとは、今でもわかりません……。

また、兄弟同士の掛け合いでは、ウルトラマンに対する想いやオーディションでの緊張、プレッシャーなどが昂って、若干過激な芝居をしてしまいました。
この芝居をやった後に感じたのですが、不登校の期間中、人と関われない期間が続いたせいか、人との距離感や空気感がうまく掴めず、苦しくなったことが多々あったので、それが演技にも過剰に表れてしまったと思いました……。
これは、このオーディション以外の撮影現場でも数多く感じたことです。

特に僕が俳優をやっていた期間中、再現ドラマなどで演じていた役は、自殺に追い込まれるようなものだったり、怒りや葛藤などを強く出す感じが多かったため、過去の苦しかったことを思い出し、きつくなる時がありました。

(演技の中で感じた苦しさは、こちらの『不登校新聞』の記事に具体的に書いています。読者登録しないと全文は読めませんが、興味ある方はぜひ読んでみてください。↓)

ここまで自分の葛藤などを長々と書いてしまいましたが、それでも自分のアイデンティティと言えるウルトラマンのオーディションに参加でき、敬愛しているスタッフの方々と向き合うという貴重な体験ができたのは、何よりの宝物です。
あの当時、自分のできるベストを尽くしてオーディションに真摯に臨んだことは、過言ではありません。
この機会を設けていただいた、事務所や円谷プロの皆様には、今でも深く感謝しております。本当にありがとうございました。

「自分の中に抱えている想い」と「自分だけの言葉」

こういったオーディションの経験談を書くのは、正直迷いましたが……僕のお知り合いで、ウルトラマンに出演した俳優の『ウルトラマンガイア』(98年)の高山我夢役の吉岡毅志さん、『ウルトラマンオーブ』(16年)、『ウルトラマンZ』(20年)のジャグラスジャグラー役の青柳尊哉さんからそれぞれ、

吉岡毅志さん……「『R/B』のオーディションを受けたのは紛れもない事実だし、その自分の中に抱えている想いを大事にしてほしい」

青柳尊哉さん……「『R/B』のオーディションが馬場くんにとって通過した時間の中で欠かせないのであれば、書くべきだし、その中で自分だけの言葉を探してみると良い」

と、このように背中を押されて、書くことができました。

不器用な僕ですが、この「自分の中に抱えている想い」「自分だけの言葉」を探し、辿り着いて書いたのが、この経験談の記事です。
ご助言をいただいたお二方には、感謝の念に堪えません。心よりお礼を申し上げます。

また、僕は今小規模ですが、自主映画やゲーム制作などをして、自分で主役も演じようと思っています。役柄もヒーロー的なもので、『R/B』のオーディションの経験も生かそうと考えています。
そのためにも、当時のオーディションを振り返りたい、というのがありました。

自分のできること

『R/Bのオーディションから5年経ちましたが、自主映画やゲーム制作以外の今の僕の話もしたいと思います。
僕は去年コロナにかかり、以前からかかっていた適応障害や不安障害などの症状も酷くなり、半年以上寝込んでいました。
今はなんとか動けるようになり、ライター活動を中心に行い、俳優の方も少しずつ再開しようと思っていますが、コロナの影響もあり、頭痛や吐き気、倦怠感、味覚の違和感などが続き、日々苦しく感じる時も多いです。

それでも、今は自分のできることを1つずつ積み重ねていこうと誓っています。
過去に自分のできることとして、学生団体や環境保護のボランティアなどに関わったことがあり、今は主に不登校経験者の記事を取り上げるNPOの団体『不登校新聞』で自分の不登校経験を生かしてライター活動もしています。

今のこのご時世、苦しんでいるのは、僕自身だけではないので、自分の過去の経験などを通して人のためにできることをやっていこうと思っています。
これが「人間ウルトラマン」の生き方にも繋がっていくと考えているので。

「人間ウルトラマン」として生きる決意

僕はウルトラマンの俳優になれたわけではありませんが、この記事でも書いた「人間ウルトラマン」的な生き方はこれからも貫いていこうと思います。
まだまだ未熟者の僕ですが、自分を応援、支えてくれている方々のためにも、その生き方を踏まえて1日1日を大切にして過ごしていきたいです。

それが日々の「未来」にも繋がると信じて。

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