母と歌えば2024⑮
母と大倉山まで出かけた。
「日差しが強いね。」
昨日の雨のせいで、空気中の浮遊物が地面に落ち、その分今日は紫外線が強くなると聞いた。母と私は駅の前の横断歩道を渡り、しばらく右に向かってまっすぐに歩いて行った。ピンク色の建物が保育園。その先を曲がったところに馴染みの洋服屋さんがある。
そのお店に行くのは、何回目だろう?もともとは母の知り合いのお宅で季節ごとにセールをしていたが、コロナのせいかそれがなくなり、お店にお邪魔するようになった。去年の秋から今年の3月くらいまで、母が体調を崩していたので、二回くらいセールのお知らせをスルーしていた。おそらく、前回来たのも去年の今頃。
東横線に乗っている時、母が
「ワタナベさんのおじさんの家、東横線沿線だったね。」
と言い出した。ワタナベさんのおばさんが父方の祖母の親友で、小さい時から親戚のようにおつきあいをさせていただいた。祖母も、亡くなった父を我が子のようにかわいがってくれたおじさんもおばさんも、すでに亡くなっている。
「ご長男はどうしたんだったかしら?」
今もハワイに住んでいるのかな?と母は言ったが、その方も亡くなったのではなかったかな?
「お姉さんがいたわよね。妹さんも。」
お姉さんは、母より年上だったかもしれない。ということは90歳前後。
「妹さんて、タマミちゃんのお母さん?」
「そうよ。」
タマミちゃんには、子供の時あったきりだ。私より一つ年下で、とても優秀な女の子だった。年間五百冊も本を読むと聞いた。大人になってから何をしているかは知らない。妹さんも優秀で銀行の支店長になったと聞いた気がする。
「絵描きさんになったんじゃなかった?」
知らないけどー。
「亡くなった有名人と間違えたかしら?」
亡くなった人?誰だろう?
「あの人よー。お茶の人と結婚した人ー。」
お茶の人って誰?千利休とか?ありえないねー。
「お茶のCMに出てる人よー。」
あー、わかった。モッくんだね。本木雅弘さんと内田也哉子さんのお子さんの中に絵を描く人がいるんだろうか?それにしても、ずいぶん違う。年も、キャラクターも。
買い物の後、パエリアを食べに行った。日替わりのランチが1500円。きのこのパエリアにサラダとデザート、飲み物付きだ。何年か前に来た時、とても美味しかった記憶があるのだが、その後何回か定休日にあたり、その店に行くことができなかった。パエリアはもちろん美味しかったが、記憶の中ではもっと美味しかったような。
「このソルベ美味しいー。」
母がはしゃいだ声を上げた。母のいうとおり、カシスのソルベはとても美味しかった。
帰りの電車の中で、母が言った。
「ねー、見て。電車に乗っている人の中にあなたが買ったような服着てる人、全然いない。私が買ったような服ばっかり。」
そうだけどさ。私はコロナ以降特に、背中にも柄がある服を着ることが多い。生徒さんやお客さんに背中を向けてピアノを弾いていることが多いからだ。自分自身、派手な服装をしていると思うことはないが、シンプルな方がいい、とか、目立たないようにしよう、と考えてはいないので、結果的に派手になっているかもしれない。
「来週はどうしようか?」
普通なら、今日がボイストレーニングの日だが、今週は買い物に来たので、ボイストレーニングはおやすみ。母は先々週背中に出来た粉瘤を切開し、先週抜糸したばかりだ。
「絆創膏、ちゃんと貼れているかどうか、娘さんに見てもらってください、ってお医者さんがいってたんだけどー。」
私は洋服屋さんで試着のついでに見ても良いけど、と言ったが、母は絆創膏を持って来ていなかった。うまく貼れていなくても、貼り直すものがない。
「水着、早く買いに行きたいんでしょ?」
母は以前から、辻堂のテラスモールの中のお店で水着を買いたいと言っている。背中のぬい傷が見えない水着が一枚しかないので、もう一枚必要なのだそうだ。
「じゃあ、来週もボイストレーニングはお休みして、水曜に辻堂に行きましょうか?」
母はまだ、迷っているようだ。
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