
回り道をしている
回り道をしている。気分になっている。正確には回り道では無いのかもしれない。振り返らなければ回り道ではない。それはまっすぐの道であるけれども、後で振り返ってみたときに回り道であると思う瞬間があるかもしれない。そうだとしても、これは回り道ではない。必然的な道である。今無駄なことに思えても、後になってみれば、決して無駄ではなかったと思える日が来るのだ。これは回り道ではない。回り道であるとしたら、もうすでに罠にはまっている。何の罠かわからないが、回り道であると思い込まされているという罠にはまっている。その罠は深く暗く冷たく誰の声も届かないかもしれない。だから人は諦めてしまうのかもしれない。諦めたらそこで試合終了ですよと言う声は、大抵の場合届かないけれども回り道をしていると思わなければそれさえも知らなければそれは回り道ではない。一緒に頑張っている。今である。