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辛いときは「辛い」って言いたいし、言ってほしい

前書き

こんにちは、最近心の動きが穏やかになってきた高野豆腐です。

noteでアウトプットしてるからかな。
ありがとうnote。

そんなこんなで今回も引き続きのんびり
考えたことを書いていこうと思います。

今回はタイトル通り、辛いときは「辛い」って言いたいというお話です。

お時間がありましたら、最後まで是非お付き合いください。


今日録画していた「ゼイチョー」というドラマを見た。

その中で、希望の課(A課)に行けなかった若い公務員とA課希望ではなかったA課の課長が出ているシーンがあった。

それを見ていて、今自分がしんどいと思いながらやっていることをやりたくてもできない人がいる
という言葉を思い出した。

「やりたくてもできない人がいる。それをできるあなたは恵まれている。だから頑張りなさい。」

言っていることは分かる。

私も国立大学を諦めた。
志望校に行けなくて浪人した知り合いも知っている。
私が今通っている大学が第一志望で、そこに落ちてしまって別の大学に通うことにした人もたくさんいるだろう。

そう考えると、今誰が居たかったであろうところに行けている自分が、「ここにいるのが辛い」「もう辞めたい」と言ってはいけないのではないかと思う。

実際言わないようにして、思わないようにもした。
そしたらもっと苦しくなった。
よくわからないけど泣きたくなった。

そこまで行って、やっぱり辛いと言いたくなった。

でも、「やりたくてもできない人がいる。だから頑張りなさい。」と言う人が
一番自分自身に「やりたくてもできない人がいる。だから辛いと言ってはいけない。」と言い聞かせているのではないか。

その人が自分自身に言っていることを誰かに伝え、
苦しくなりながらその誰かもその言葉を受け入れて、また他の誰かに伝えてその人が苦しくなる。

この考え方に奮起して頑張れる人もいると思うけど、やっぱり私含めてその言葉に苦しむ人もいるから、この連鎖は実際に起こりうる話だと思う。

でもそんなみなさん、
少しこのように考えてみてほしい。

個人的に辛さなど感情は一冊の本だと思っている。
その本にまつわる自分たちの思い出はもちろんあると思う。
この本とこんなところに行った、この本とこんな苦難を乗り越えたとか。
そこには確かに違いはある。
だからといってどっちの本が優秀とか偉いとかないと思う。
だって中身は「辛い」という同じ内容しか書かれてないから。

そう思うと、「私よりもあの人のほうが辛いから」という前提自体覆るのではないか。

自分たちの言葉で自分自身を苦しめることも、人を縛ることも、「やりたくてもできない人がいる。だから頑張ろう。」と思えない人にもやもやすることも少しは減るのではないか。

自分のこの考え方はそこまで変化を及ぼすような大層なものではないかもしれないけど、
どんなきっかけであれ、
「やりたくてもできない人がいる。だから頑張りなさい。」
で「辛い」を覆い隠そうとする人が減ればいいなと思う。
そして、「やりたくてもできない人がいる。だから頑張ろう。」と奮起できる人たちも、この言葉で苦しむ人達がいるんだと受け入れられる、そんな優しい世界になればいいと思う。

最後に、世界でどんなことが起きようと、あなたがどんなに客観的に見て恵まれた場所にいようと、どんなに我慢しなきゃいけない環境でも、ここでは言ってください。思ってください。

あなたは辛いと思っていいんです。
あなたはどんな感情を持ってもいいんです。


自分でも自分は何を考えているのか考えながら書いていたので流れが一貫していないかもしれません。すみません。

結局私が言いたかったのは、最後の2文だったみたいです。
そこにたどり着くまでの考え方は長いので、みなさんが合うなというものがあれば、つまみ食いで使ってみてください。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。
また次回お会いしましょう。


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