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心(自我意識)とは

少し唐突かもしれませんが、心や自我意識とはいったい何なのか、以前から色々と資料を収集してきたので、手掛かりになる文章をいくつかの本から引用させていただきます。

「ラマナ・マハルシ著、山尾三省訳『ラマナ・マハルシの教え』、野草社、2019年発行」には、以下のように書かれています。

「自己はハートであり、自ら輝くものである。光明はハートから生じ、心の座である頭脳に至る。」
「あなたは自己の反射光によって世界を見ていることになる。心が照らし出されると、それは世界を知覚する。心が照らされていなければ、世界は知覚されない。」
「月は太陽の光の反射で輝く。」
「心は、その反射された光によって役に立つようになる。それは対象物を見るために使われる。」
「対象物を見るためには心から反射された光が必要」

また「スワミ・シバナンダ著、小山芙美子訳・編、『ヨーガとこころの科学』、東宣出版、平成9年発行」には、以下のように書かれています。
「純粋な意識そのものとは、大アートマン・宇宙の意識だけである。我々の意識はその源から光とパワーを借りて輝いているのだ。溶鉱炉の中の鉄の棒が、火から熱を借りてまばゆく輝くのと同じである。心は知性そのものに見えるが、それはブラフマンから光を借りているから、知性のように見えるのだ。神が心を照らしているのだ。」
「心は、自ら光り輝くアートマンではない。」
「ブラフマン、アートマンの内なる光に照らされて、心は考え、心は活動することができる。」
「心は、内なる支配者、光り輝くアートマンから光と知性を借りる。磁石に従って鉄の粉が自在に動くように、心は内なる支配者によって動く。」

また「スワミ・シバナンダ著、小山芙美子訳、『ヨーガと空の科学』、東宣出版、2019年発行」には、以下のように書かれています。
「心が意識を持つ理由は、個我として、アートマンの光を反射で受けているからで、その成り立ちのため、大きな制限がある。実在(神)の事象の反映に過ぎないから・・・」

また「スワミ・ヴィヴェーカーナンダ著、『ラージャ・ヨーガ』、日本ヴェーダーンタ協会、1997年発行」には、以下のように書かれています。
「心は1個の対象であって、自ら光り輝くものではない。」
「プルシャだけが自ら光り輝き、あらゆるものに力を与える。すべての物質と力に浸透しているのは、プルシャの力である。」

また「スワミ・ニルヴェーダナンダ著、『ヒンドゥイズム』、日本ヴェーダーンタ協会、1986年発行」にも、以下のように書かれています。
「ブッティ(知性)は、それ自体は無感覚であるが、一切所に遍満する主の意識の輝きを受けて光ることができる、という資質を備えている。太陽のおかげで輝いている月が1つの独立した発光体に見えるのと同じように、ブッティは主の意識に触れると、それ自身のエゴを持つ個別の意識体の様相を呈するのである。意識の源は神以外の何ものでもない。ブッティはただ借りものの知覚で輝くのである。」
「それ自体では絶対に知覚力を持たないブッティは、いわば神の意識の一部分を反射するのである。これが、ブッティ自体の中に個別の小さな意識の源泉がある、という誤った印象を与えるのだ。」
「火の中に入れられた鉄片は、熱と光を放射し始めるとき真っ赤になって火のように見える。そのように、知性、心、感覚器官および肉体まで、霊(魂)に接することによって意識を持つ実体のように見えるのである。」

また「『ウパニシャッド』、日本ヴェーダーンタ協会、2009年発行」にも次のように書かれています。
「心臓の光り輝く蓮華の内部に、情欲なく、部分なきブラフマンは棲んでいる。それは純粋であり、光の中の光である。・・・それはすべてのものに光を与える唯一の光である。」
「心臓の蓮華の内に棲み、感覚と感覚器官に覆われ、そして認識の光である、自ら光り輝く存在、それがアートマンです。」

また「佐保田鶴治著、『続・ヨーガ根本教典』、平河出版社、1978年発行」の中にも「アートマン以外に照明者はないから、それは自己照明者である。自己照明者であるから、それは光明を本質とするものである。」とあります。

大変引用が長くなってしまいましたが、要はブラフマンやアートマン(真我・プルシャ)だけが自ら光り輝くものであり、心臓の中で自ら光り輝いているアートマン(プルシャ)の光が、同じく心臓の中にあるチッタ(心)の微粒子(サットヴァの微粒子だと言われています)に当たって、チッタから反射された光の事を自分自身だと勘違いしてしまう、それがアハンカーラ(自我意識)で、そこから自我意識(エゴ)や、外界の世界を楽しんだり物事を推論したりするような心が生まれてくるようです。

また、チッタとアハンカーラが原因体を構成していると言われていて、チッタは潜在意識(阿頼耶識・集合無意識)のようなものだと言われています。

チッタ(潜在意識的な心)の中に前世から今世にかけての行為の残存印象(サンスカーラ)が残っていて、サンスカーラとアハンカーラ(自我意識)が、生まれ変わりの原因となるあらゆる欲望を生み出す原因となっているので、心臓部に存在すると言われているチッタとアハンカーラは「原因体」と呼ばれているようです。

ただ、チッタの中に存在するサンスカーラ(行為の残存印象)の中の、どの印象(欲望)が顕在意識の中に湧き上がってきたり、シンクロニシティ的な現象として現象化してくるかは、「ヨーガと空の科学」によると、神の意志によって起こるみたいです。

要は、前世や今世で良い事や悪い事をしていても、それが今世ですぐに結果として現れるかどうかは、正直わからないみたいで、恐らく生まれる前に決めてきた宿命的なものや神の意志によって、現象化していく出来事がある程度決まっているのかもしれません。


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