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深刻な健康被害が見逃されているALPS処理水の海洋放出

風評であっても漁業関係者の健康リスクは「実害」

科学的安全と社会的安心は別々ではない、安全だから安心する

ー脳科学が明らかにした当たり前のことー

 
 「安全と安心は違う。安全性はこれまでの説明で理解できるところがあるが、安心は別の問題」。処理水海洋放出について、相馬双葉漁協の今野組合長は、このように語ったという(7月19日付福島民報)。今野組合長だけでなく、この問題を巡っては連日、まるでコピーペーストしたかのように、同様のコメントが続いている。全漁連の坂本会長も、「科学的安全と社会的安心は違う。安心を得ることができない限り、我々は反対の立場を崩すわけにはいかない」と、西村経産相に懸念を表明した(7月15日付福島民報)。報道によると、内堀福島県知事、福島県議会も、安全と安心を分けて議論しているようだ。
 ちょっと待ってほしい。 脳科学の専門家として言わせてもらいます。安全と安心は、別々ではありません。両者は密接に関係していて、切り離して議論することはできません。以下、この点について、最新の学説を解説します。最後に僕の意見を述べます。
 安全と安心を分けて考えるようになった源流は、社会心理学の学説にある。スロビックやスターの学説を根拠に、科学的に推定した安全性(理性的判断)に対して、安心感や不安感(感情)は、過剰になりがちだとして、安全は科学の問題、安心はリスク認知(感じ方)の問題、と分けて考えられるようになった。理系(トリチウムなど物質の性質の問題)と、文系(心や社会の受け止め方の問題)に分けるようになった、とも言える。
 ところが、この安全安心二元論の根拠となった社会心理学の学説は、2000年以後、変更されている。つまり、時代遅れの古い学説を大前提に、処理水海洋放出の問題が議論されているのだ。これは、かなりヤバイことだ。後で後悔しないよう、議論を尽くすためには、最先端の学説を根拠にしてほしい。
 社会心理学の学説が変わったのは、僕が専門にしている脳科学の分野で、1990年代に、大げさに言えば、西洋近代思想を根底からくつがえすような大発見があったからだ。多くの学問は西洋近代思想を大前提にしているので、この発見により、さまざまな分野で学説が大幅に変更された。社会心理学も、その一つだ。
 どんな発見があったのか、以下に説明します。

脳科学の大発見:感情がなくなると理性は働かなくなる


 人間が情報処理する仕組みとして、外界からの情報は、まず、情動反応を起こして安心/不安を感じる脳部位に先に届く。安全を分析する、理性をつかさどる脳部位に情報が届くのは、情動反応(安心・不安)のフィルターを通過した、その後だ。つまり、どんなに理性的(科学的)であろうとしても、情動反応(安心・不安)から逃れることはできない。理性的な判断は、情動反応の後付けに過ぎなかったのだ。
 ヘビにもある情動反応は、原始的で大ざっぱ、理性的判断より間違いやすいが、素早い。この素早さが、命にとって何よりも重要だからこそ、長い進化の過程で大切に保存されてきたと言える。何ごとも、命あっての物種なのだ。理性的判断は正確だが、判断を下すまで時間がかかるのが欠点で、後の祭りになりかねない。
 単純化して言えば、情動反応(安心・不安)とは、生物にとって「火災報知器」のようなものだ。命に関わる重大な問題は、理性的な分析以前に、まず、無意識のうちに情動反応として、安全か危ないか判断される。安全と判断されれば安心し、危なければ不安を感じる。無意識のうちに反応するこの情動反応が、直感(gut feelings: the intelligence of the unconscious)の正体だ。ちなみに、情動反応に深く関わる脳部位がダメージを受け、不安を感じなくなってしまった人は、まともな社会生活ができなくなってしまう。火災報知器のない家に住んでいるようなものだ。大変に危ない。感情的になると理性は働かなくなるというが、真実は逆で、感情がなくなると、理性は働かなくなってしまうことが分かった。脳科学の大発見とは、このことだ。

工事現場の事故で、自分の頭部を貫通した鉄棒を持つフィニアス・ゲージ。彼のように脳にダメージを受け、不安を感じなくなってしまった患者を研究することで、感情がなくなると、理性は働かなくなること
が分かった。(写真はNINDSによる)                               

安心(心)と安全(身体)は表裏一体:心が痛めば心臓も痛む


 安全だから安心し、危ないから不安になる。何のことはない、ごく当たり前なことなのだが、客観と主観を分けて考える西欧近代思想は、安全を客観、安心を主観の問題と分離してしまったために、話がややこしくなってしまった。実際には、 安全と安心は、コインの表と裏のような関係にある。
 不安感の強い人は、心臓病やがんになりやすいし、外科手術の治りが遅い。逆に、うつ病の薬を飲んでいる人は、心臓病になりにくい。心が安心できなければ身体も安全でなくなるし、心が安心できれば、身体も安全でいられる。
 心の痛みと身体の痛みは連動している。たとえば、痛み止めの薬を飲んで身体の痛みを和らげると、嫌なことがあっても心が傷つきにくくなる。反対に、がんや心臓病になって身体が痛めば、心も痛んでうつ病になりやすくなる。
 このように、心の安心・不安と、身体の安全・危険に関わる生理的反応は、人の身体の中で表裏一体となっている。心が痛めば身体も痛み、身体が痛めば心も痛む。なぜ、こんなことが起こるのかというと、人間が社会的動物として進化する過程で、仲間外れにされて心が痛むシステムが、身体の痛みを感じて危ないと警報を発するシステムを応用してつくられたからだ、と考えられている。
 だから、科学的に安全とされているのに安心が得られないのは、国が主張するように、「安全だ」という情報が社会に行き渡っていないからではなく、科学的な検証が不十分で何か見落としがあり、本当は安全でないから安心が得られないのかもしれない。社会の不安は、真実を語っている可能性がある。

人は社会から孤立した状態に置かれ続けると心臓病になる


 前置きが長くなってしまい、申し訳ありません。処理水海洋放出の問題について、安全と安心をどう考えたらいいのか、冒頭のコメントに戻って説明します。
 処理水が海洋放出されると、漁業関係者はなぜ、安心できないのか。安全と安心は、どう関わっているのか。ヒントは、漁業関係者自身のコメントの中にある。
全漁連の坂本会長は、「科学的安全と社会的安心とは違う」と述べている。では、漁業関係者は、どんな状態になれば安心できるのだろうか。発言の文脈によれば、風評被害が発生しなければ、つまり、生産者と消費者の関係が良好なら安心できる、という趣旨なので、安心を「社会的」と形容したのだろう。
 ところが、脳科学的には、社会的安心は安全の問題なのだ。人は社会的動物である。腕力もなく、走って逃げても鈍足で、四足歩行の猛獣に襲われたらひとたまりもない人類は、集団規模を大きくして、仲間と助け合うことで生存率を上げてきた。霊長類の中で寿命が最も長いのは人類だが、集団規模も霊長類で最大だ。一人一人はひ弱な人間にとって、社会から孤立する心の痛みは文字通り、死を意味する。前述した通り、心の痛みは身体の痛みなのだ。

野生のヒヒの群れ。社会的動物として進化した霊長類は、仲間と助け合って暮らすことで生存率を上げて
 きた。霊長類の中で寿命が最も長いのは人類、集団規模も霊長類最大。                                                       
                          (写真はSilk JB et al., 2007 Science, 317: 1347-1351)             

 生活基盤を奪われかねない風評被害のような他者との関係悪化は、強烈なストレスとなり、血液中に炎症物質が過剰に放出される。この状態が不安である。そして、風評被害が長引けば長引くほど、炎症物質が血液中に過剰に放出され続けることになり、血管や臓器はダメージを受け続け、やがて、心臓病など生活習慣病を発病することになる。つまり、風評被害に苦しみ、社会的「安心」が得られない状態が続くことは、漁業関係者にとって命に関わる深刻な「安全」の問題なのだ。 社会的動物として進化して、仲間と助け合うことで寿命を延ばしてきた、単独だとひ弱な人間にとって、社会から除け者にされることは、死を意味する。だから、人は家族をつくり、自分と自分の家族の命を守るため、切に公平さを求めてやまない。
 なのに原発事故以来、福島県民は、国や東電との関係において、ずっと不公平な立場に置かれ続けてきた。自分たちの命に関わる問題、経済を含めた生活に関わる問題、将来への見通し、これら生存に直結する政策が、常に自分たちの頭越しに決められてきた。事故直後の避難にしても、帰還政策にしても、今回の処理水海洋放出の問題にしても、被害者である福島県民は、加害責任が問われる国や東電との関係において、常に受け身の状態に置かれ続けてきた。

放射性物質に汚染され、強制的に避難させられた。数日で帰宅できると思っていた被災者の多くは、10年
以上経っても生まれ育った故郷に帰ることができないでいる。納得できる説明は受けていない。       

 人は、このような「社会から排除」された状態に置かれ続けると、心臓病やPTSDなど、さまざまな病気になりやすくなることが、疫学調査で何度も確認されている。人は、社会的動物である。心が痛めば心臓も痛む。米国の黒人に心臓病が多い主な原因は、人種差別だった。
 国は、処理水海洋放出にともなう風評被害対策については、「国内外に科学的な説明を尽くす」の一点張りだ。果たして、科学的な説明を丁寧に繰り返していれば風評被害は防げる、と本気で信じている人は、何人いるだろうか。各種世論調査では、ほとんどの人が、「風評被害は起きる」と回答している。
 風評被害は確実に発生する。なぜなら、処理水海洋放出は、確信犯的に政治的な駆け引きの道具に利用されるからだ。利用する輩は、さながら1Fの汚染水のごとく、次から次へと湧いて出てくるはずだ。これは科学の問題ではない。だから、国がどんなに科学的な説明を尽くしたところで、風評被害は防ぎようがない。まさに、いま現在の中国がそうだ。韓国との関係も常にギクシャクしていて、いつ態度を変えるか分からない。台湾の原子力政策を巡る国内情勢からも、目を離せない。日本国内の活動家も利用するだろうし、現に(昔から)利用している。
 仮にゴーサインが出れば、処理水は今後、何十年に渡って海洋放出されることになるが、ことあるごとに処理水海洋放出は政治利用され、風評被害はその度に発生することだろう。エンドレスだ。その経済的損失、外交上の政治的損失は莫大なものになるはずだ。海洋放出に、これらの損失を上回るメリットはあるのだろうか。
 第一、関係者、特に漁業関係者にしてみたら、たまったものではない。「どうせ、何をやっても自分たちの努力は報われない」。そう思っている被災者は多いことだろう。前述したように、自分や自分の家族の命、生活、将来にかかわることが、常に自分たちの頭越しに決められて、受け身の状態に置かれ続けると、人は強い心理社会的ストレスを感じ、心臓病、うつ病など、さまざまな病気になりやすくなる。海産物の買い控え、諸外国の輸入禁止措置は仮に風評被害であったとしても、確実に起こり続けるであろう風評被害にともなう漁業関係者の命に関わる健康リスク増大は「実害」である。とても、賠償金など金銭的な補償で釣り合うものではない。

事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所。廃炉作業の見通しは、いまだ立っていない。処理水を海
洋放出したとしても、事故現場で発生する汚染水はこれからも増え続ける。             

学習性無力という動物実験


 「学習性無力」という動物実験がある。カゴの中に閉じ込めたネズミに、強い電気ショックを間隔を空けて何日も与え続けると、最初、びっくりして飛び上がって逃げようとしたネズミが、電気ショックを加えても、じっとしたままで動かなくなる。電気ショックに慣れたのではない。大嫌いな電気ショックから逃れられないことを「学習」して、どうせ何をやってもダメだからと「無力」(あきらめた状態)になった、と解釈されている。学習性無力の実験は、一昔前まで、ストレス実験として盛んに行われていたが、最近は、まったくと言っていいほど行われなくなった。少なくとも、僕は、論文を目にしたことはない。聞くところによると、あまりに残酷で倫理的に問題になるとして行われなくなったそうだ。
 実験動物でさえ倫理的に問題があるとして行われなくなった「学習性無力」実験が、なんと福島では、生身の人間に行われている。このような強烈な心理社会的ストレスは、心筋梗塞や脳卒中などの心血管疾患(CVD: cardiovascular disease)の死亡率を高める。だから、そのメカニズム解明のために、動物実験として行われていたのだ。

最も大きな健康被害の原因は国と東電の対応の悪さ


 ここからは、僕の意見です。
 処理水海洋放出は、やめるべきだ。科学的な理解を求め続けていれば放出は強行できるとする政府の方針は、間違っている。どう転んでも風評被害は発生し続ける。中国のように、科学的安全性とは無関係に、処理水海洋放出の問題を政治的駆け引きのカードとして利用する輩が、次から次へと出てくるからだ。その度ごとに風評被害は発生し、放射性物質の健康影響以前の問題として、多くの漁業関係者は心理社会的ストレスにより命を落とし続けることになる。
 処理水海洋放出の問題だけでなく、国や東電の被災者に対する一連の対応の仕方自体が、原発事故後に新たに発生し、そして、現在進行形の「復興災害」なのだ。常に被災者の頭越しにものごとを決めていく国と東電の対応の悪さ、恐らく、これが福島原発事故における最も大きな健康被害の原因となっているはずだ。放射線被ばく量に換算すれば、100mSvをはるかに超えているはずで、この推計を裏付ける論文はいくらでも見つけることができる。国と東電の対応の悪さは、処理水そのものの毒性よりはるかに危険である。もう、これ以上、犠牲者を出してはならない。

国・東京電力と住民との間で行われたALPS処理水の海洋放出に関する意見交換会。国と東電の説明はいつ
も用意した資料を読み上げるだけで、住民との議論が噛み合うことはない。                


参考文献∶『なぜ社会は分断するのか』伊藤浩志(専修大学出版局)

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