飛べなくなった人(石田徹也の絵)
(文中 敬称略)
上の記事の続きです。
写真がないので、まず、こちらの静岡県美術館のホームページをご覧ください。
ヒコーキからサラリーマンの顔が出てる不思議な絵がありますよね。
石田徹也の絵です。
石田の絵は、学校の絵が多いです。校舎に固められて身動きの取れない学生の絵が有名でしょうか。顔は石田本人の自画像です。
無表情で、困ったような、悲しい顔をしているのが特徴です。
昭和の頃、田舎の学校システムは、容赦なく小学校位から同質化を強制していました。
中学校では、髪の長さまで決められていましたね。「五分刈り」というやつです。
まだ太平洋戦争に行った祖父が生きていましたし、特攻隊の生き残りという噂のある技術・家庭の教師もおり、体罰も当たり前で、日本軍の遺風が残っていたのかもしれません。
ただ、校内暴力やいじめという形で、鬱屈したエネルギーを発散していた連中が沢山いたのを記憶しています。
石田は、若くして、学生服やスーツを着たひとは、自分のなりたい人ではない とわかっていたのでしょう。
「飛べなくなったひと」は、遊園地の安い乗り物みたいにもみえます。戦線離脱した罰として、見世物にでもされているのでしょうか。
この絵を見たのは、まだ私も30代半ばくらいでしたので、少しコミカルな感じでとらえてました。あまり自身のこととしてとらえられなかったのです。
でも、いまの私は年齢的にも、体力的にも、組織内でも「飛べなくなったひと」です。
もう○○戦士ではありませんので、今では、情けなく恥ずかしいことではありますが、感情移入できるのです。
コロナ禍によって、テレワークがすすむなど、世の中が変わりつつあるようにも見えますが、社員がどこかの国のヘータイのように徴集され使い捨てにされるような働き方はまだまだ残っているのではないでしょうか。
別に飛べなくってもいい。
もうスーツを着なくてもいい。
世の中は歩みはのろいですが、
変わりつつあります。
飛べない自分としては、AIによる社会の「コペルニクス的転回」に期待しながら、今日もなんとか生きています。。