ホンモノを見た⑤(こどもの樹(1985)Taro)
【きっかけ】
本当の気持ちをいえば、今の自分には温泉旅館での湯治位の癒しイベントが絶対に必要だ。
サラリーマンたる者、ストレスはいつの間にか蓄積し、心身を蝕むもの。こまめに解消しなければならない。
しかし、到底叶わぬ夢……
週末は、小さいが、旅に出ることにした。
渋谷駅で降り、休館中の「こどもの城」をめざし街を歩く。
『岡本太郎にであう旅』という本に載っていた、太郎の作品を実際に見てみたいと思ったのだ。
ほんとうは、有名な大阪の「太陽の塔」(1970)を一度この眼で見たいところであるのだが、新幹線代の問題や、なにしろ連休など取れない束縛リーマンの現状では見に行けない。
何度も言うが、ほんとうは諸々投げ出して長い休みをとり、見に行きたいのだ。
そこでまず、行きやすい、駅の近くの作品から、見てみることにした。
【対面】
駅からは少し歩く。
ただ、都会の街歩きは、田舎と違って色んなお店や会社があって、退屈しない。
こどもの城自体は、工事現場でよく見る白いパネルみたいな壁に囲まれていたが、樹 は歩道のすぐ近くに立っていた。
【太郎の想い】
2003年の、糸井重里さんと岡本敏子さんの対談記事をみつけました。
「太郎は、こどもの代表」
「樹を低くして、子供でも見える高さにすると言って聞かなかった」
などの証言がかかれています。
作品が遊具になっても構わないという柔軟な発想への、子供の事故などを心配する小役人的な妥協の産物が、この作品を押さえつけているような印象を与える石の台であったのかもしれない。
建物や施設(コンクリート)は半世紀で消滅してしまうが、アートは半永久的に残るもの。
この樹はそんなことも教えてくれる。
【グルグル回る】
後ろから見ると、たまたま逆光の時間帯だったが、ビル群や交通、空が見えてオブジェが映える。
街ゆく人々で、眺めたり、写真を撮る人々が絶えない。
3週くらいゆっくり回った。面白い顔をみてるうちに、とても気持ちが和んだ。
スッキリしたかも。
きて良かった。
太郎さん、またありがとうございました。
【偶然の1枚】
このアングルを意識して、右側のビルのアートっぽい塗装や、広告モニターが設置されているのかはわからない。でも、たまたま広告のモニター画面に、地震で困っているであろう石川県の広告がでていた。
そうだ。ここまできた甲斐があった。
また、寄付をしなきゃ。
気持ちが和んだし、また明後日から頑張って仕事をして社会貢献だ。休みにはプチ旅に出よう。
疲れてしまったら、またきますね。
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