半隠遁ノートvol.1(きっかけ)
【揺れる心】
半隠遁を気取って、一年が過ぎ。
我慢料である、ボーナスと給料は家計に随分と吸いとられてしまうが、残りカスは自分のものだ。
カスなどと見栄を張っている場合ではない。オトナのお年玉なので単純に嬉しい、御褒美なのだ。
例月よりはやや懐ぬくい年末年始の休みをむかえ、餅だの数の子だの、ちいさめだがカニだの、美味しいものをたらふく食べて、時間を自分と家族のために使うことができた。
休日出勤もなく、小金を手にし、満腹で満ち足りているはずの自分だが、ヒトの欲とは恐ろしいもので、また戦線離脱を後悔し、組織からの承認を求め、さまよいはじめてしまう…………
5年前にもうあの牢獄には戻らないことを決意し、組織内レースから脱落した。
4年前に部署異動し、満員電車の洗礼もなく、仕事量が減り、残業のほとんどない夢のような部署に来ることができたが、ホッとしたのも束の間、
「昇進遅れ」という苛烈なストレス
がかかり続けるという厳然たる事実がつきつけられる。
5年が過ぎ、今の状況はどうだ。
同期が自分より高い役職で、窓側の管理職の席に座る。
かつて仕事で関係があった自分より遅い年次の後輩が同格のポストについた。
来年かその後かわからないが、いつか後輩が直属の上司になる日がきっと来るだろう………。
どんなに世間的に一目置かれるような大組織だったり、大企業に入社できたとしても、昇進レースから遅れた者は、このような屈辱的な状況に毎日置かれてしまうのだ。
組織内でも、友達関係においても、世帯を設け、地元に根を張る生き方をしている場合に、つきまとう宿命、成功競争。
「比較」という(精神的)牢獄から逃れることはできないという真理を前に、
辞めるのか(逃げるのか)
踏みとどまるのか(割りきるのか)
を心の中で反復するばかり。
進めど、退けど、他人の眼に照射され。
比較の無限地獄。
救いはどこにあるのか。。
潔く辞め、新天地への航海に出るのか
歯を食いしばり居続けるのか
悟りともいうべき境地に達せるものなのか。
こころ揺れ動く毎日だった。
【2つの出来事】
昨年、2つの出来事が起きた。
大袈裟にいえば、人生の転機となりえる経験だと感じた。
悟りというにはおこがましいが、諦めに近づいた、という感覚を得た気がした。
組織や地域社会、旧友からの承認(他人軸)よりも、自分自身の納得のために時間を使いたい(自分軸)と願うようになったのである。
子供の頃から、競争心が強く、人に遅れをとらないことを半分原理(※)にしてきた自分が、組織や他人の眼を呪縛と感じるようになっていく……。迷いながら、以前よりも。(※残りの半分は、内向的で逃避的な自分)
組織への期待、承認欲求、自身の人生ゴールへの期待がゆらぎ、迷宮へと導かれていく………
【①真夏のインフルエンザ】
一つは、昨夏に。
仕事自体と人間関係のストレスが限界に達し、気晴らしの一人旅を画策しているまさにその時のこと。
家族が二人ともインフルエンザに罹患したのだ。
素破、コロナか! と当初戦慄したが、コロナではなかった。
かかりつけ医は、淡々と二人にクスリを処方してくれた。
イナビルとタミフルだ。
効くクスリである。1日ぽっちで熱が下がる。
文明の有り難さ。
人類の進化の果実の味。
当たり前のことではないはず。
クスリがなかったら長く苦しんだかもしれない。昔だったら大変なことになっていたかもしれない。
真夏にインフルエンザで38度の熱を出してしまうという初めての経験。
エアコンが無かったら……
氷を作る冷凍庫が、アイスノンが、氷をすぐ買えるドラッグストアが無かったら…
ゾッとする。
隠遁などと世迷い言を言ってる場合ではないのではないか?
組織集団の一員として、ウイルスや天災との闘いの一翼を担うべきではないのか。
人生の貴重な時間をこれからも組織に捧げることにはなるが、対価(カネ)は手には入るし、この社会の歯車としての自分の役割もあり、部品に過ぎない交換可能な存在だとしても、そんなに卑屈になることはないのではないか?
人類の進歩とまではいかないが、組織の歯車でなにがわるいのだという開き直りに似た諦念のようなもの。。
自分はエッセンシャルワーカーではなく、ただの組織の潤滑油。(総務だの経理だのクソどうでもよい仕事……)誰にでも交換できる生ける部品に、すぎないというのが自己認識。
でも、退職勧奨を受けた訳でもなく、
追出し部屋に押し込まれた訳でもなく、
組織の役にたっていることだけは間違いない。卑下することはないはず。
このままもうしばらく、
牢獄での懲役みたいな状況とはいえ、
組織から見放されていない限り、
一定の収入につながる自身の今の仕事を続けるしかない
と思ったのだ。
家族、組織、社会からの声を想像してみた。
去っても追わないが、こちらから去れとはいわないよ。また、カネは払うよ。
となるはずだ。
ひとまず現状維持で納得した。
【②重なる不運】
家族のインフルエンザは、一時の諦念を自身にもたらしたが、悟りには程遠い。
気晴らしの一人旅に行けなかった僕は、夏の間にストレスを発散出来ずに、結果的に許容量を超えるストレスを溜め込んでしまっていたようだ。
そして、運悪くそこに、
○チーム同士の仕事押し付け合戦
○組織内部の根回しルーチン反復地獄
○人事ヒアリングでのダメ出し
が重なってしまったのだ。
組織の雇われサラリーマンなら、根回しや上司顧客からのダメ出しなどは、
日常茶飯事、
どうってことない出来事
痛飲し、朝には忘れろ、お尻ペンペン
レベルの話なのだが、半隠遁に堕ちた自分には、どう理由をつけてみても、もう、組織での仕事が、どうでもいい事柄にしか感じられなくなってしまったのだ。クソをつけてもよいくらいに。。
組織での 仕事は すでに消化試合
と感じるようになってしまった。
カネのためだと割りきれないほど追い詰められ、無理ゲー、制度疲労、ヤケのやんぱち。
【暴発か沈静化か】
ヒトの持つ環境適応力なのかはわからないが、人はストレスが極限に達すると本能的に逃れようとするらしい。
逃げかたにも様々なパターンがある。
発展段階説的に記すと、
A)気晴らし
B)旅にでる
C)ひとり旅
D)異動希望
E)退職や離脱(組織や地域コミュニティ)
という感じだが、いちどレベル(D)を経験すると、もう(E)の段階なのかと感じる。
多分、気分をリセットするには(C)が必要なのだが、(C)を試すには遠方で時間をかけて傷心を癒す必要があり、連続の休暇が必要だ。
【心境の変化】
数年を経て、昇進が遅れることへの羞恥心が少し薄れはじめた自分。
社会は、羞恥心を上手く利用している。
つまり、競争原理や、他者軸評価が、ヒトを動かしている。
そこに気づいてしまい、疑問をもってしまったら?
組織を相対化し始めている、都合よく利用しようといている自分。
金ヅルとしても、次なるステップへの準備期間としても。
元々、負けず嫌いと内向性、逃避癖が同居していた自分。
権力志向はなく、役職や地位への執着はなかった気がする。
ただ、他人に遅れたくなかった。
所有や収入への執着心だけが強かったのと、同期に遅れないように、追いたてられていただけだったのだ。ヒトに遅れていないという安心感が欲しかったということになるのだ。
【早期退職募集の通知】
追い討ちをかけるようにベストのタイミングで、人事部門から、恒例の早期退職の募集を知らせる回覧がマイPCに届く。
例年、自分にはまだ関係ないと、すぐ削除するメールが、今年は自棄に目に留まる。
「申し込んじゃおうか……」
(次号につづく)
【おまけ】
隠遁に似た言葉で、隠棲という言葉があります。
「俗世間」とはよく言ったものです。
出家した僧尼からみた世界が俗世間。
でも、ある意味俗世間のお陰で出家出来てるわけで。先立つものはカネ……。
信心深い中世や近世ならともかく、現代人にとっては世界全体が俗世間であるといえよう。カネが基礎なのです。
自分はまさに「俗世間」の最前線で仕事をしてカネと少しのやりがいを得て家族と生きているのですが、俗世間から逃れたい気持ちが年々強くなってきました。
出家したいのかといえば全くそんなことはない。出家や修行も窮屈。
逃げたくも善き逃げ道がみつからず苦悶しているの図なのです。
どこで隠棲すればよいのか。
まあ、慌てず逃げ道を探るのです。