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ときどき聴きたい歌②「歩兵の本領」と「聞け万国の労働者」

遠い昔の歌のお話です。

軍歌、労働歌のジャンルになるかもしれないですが、思想的な話しではないので大丈夫です。

どちらも、人々を「鼓舞」したり、「団結」させるために作られ、なぜか昔の人々にウケ、長い月日を越えて未だに歌いつがれている歌です。

軍艦マーチが、私が子供の頃のパチンコ屋でかかっていたのと同じようなイメージでよろしいのかと思います。

「突撃」とか、「攻勢」という積極的な気分にさせる歌のことです。

「宇宙戦艦ヤマト」とか「バックトゥザフューチャー」などを聞くと気分が高揚するのとおんなじ理屈でしょうか。

まず、「歩兵の本領」です。


1899年に作曲された軍歌がベースで、1911年(明治44年)に陸軍幼年学校の生徒が作詞をのせた後に、全国に広がっていったみたいです。

歌詞は戦前なので漢文調ですが、意味はある程度わかります。

万朶の桜か襟の色
花は吉野に嵐吹く
大和男子と生まれなば
散兵線の花と散れ

尺余の銃は武器ならず
寸余の剣何かせん
知らずや此処に二千年
鍛え鍛えし大和魂

軍旗守る武士(もののふ)は
全てそのかず二十万
八十余か所にたむろして
武装は解かじ夢にだも

千里東西波越へて
我れに仇為す国在らば
港を出てん輸送船
暫し守れや海の人

敵地に一歩我れ踏めば
軍の主兵は此処に在り
最後の決は我が任務
騎兵砲兵ちからせよ

アルプス山を踏破せし
歴史は古く雪白し
奉天戦の活動は
日本歩兵の華と知れ

携帯口糧有るならば
遠く離れて三日四日
曠野千里に亙るとも
散兵線に秩序在り

退く言葉我れ知らず 
見よや歩兵の操典を 
歩兵の戦は射撃にて 
敵を怯ませ其の隙に

前進前進又前進
肉弾屆く所迄 
我が一軍の勝敗は 
突撃最後の数分時

歩兵の本領此処に在り
嗚呼勇ましの我が兵科
会心の友よさらばいざ
共に励まん我が任務

よくよく読むと、現代の戦争と歌詞の内容は、相当かけはなれていることに気がつきます。

実際の戦争は、いま欧州でやられているとおり、要塞化された場所を巡る持久·争奪戦になります。

歩兵を「肉弾」といい、「前進前進又前進」と鼓舞する歌詞は、旧時代的ですが真実を表しています。悲しいことですが、歩兵の任務は、「肉弾」であったり、「肉盾」であるわけです。

大義のある任務、たとえば侵略国と戦うときにはこの歌を聞いて、自身を鼓舞するのでありましょう。。

次に「聞け万国の労働者」です。

1922年の第3回メーデーで発表された歌らしいです。1899年に作曲された軍歌の旋律は、「歩兵の本領」だけでなく、旧制高校などの校歌や応援歌に利用されており、著作権法なども緩かったのでしょう。
いい曲なので、メーデーの時の行進曲として使ったみたいです。

聞け 万国の労働者
とどろきわたるメーデーの
示威者(じいしゃ)に起こる足どりと
未来をつぐる鬨(とき)の声

汝の部署を放棄せよ
汝の価値に目醒むべし
全一日の休業は
社会の虚偽をうつものぞ

永き搾取に悩みたる
無産の民よ 決起せよ
今や二十四時間の
階級戦は来りたり

起て労働者 奮い起て
奪い去られし生産を
正義の手もと 取り返せ
彼らの力何物ぞ

われらが歩武の先頭に
掲げられたる赤旗を
守れ メーデー労働者
守れ メーデー労働者


よくよく読むと、こちらは民主主義国では今でもあたりまえとされている内容が多いのではないでしょうか。
休業(ストライキ)や示威行進(デモ行進)は労働者の権利として西欧では当たり前に認められています。

ただ、一部の歌詞(旗を掲げるなど)については、現代の感覚とかけはなれていることにも気がつきます。

誤解を恐れずに言えば、もしタイムマシンで時代をさかのぼり、数十万の人々が歌う「メーデー歌」や、数万の兵士が歌う「歩兵の本領」を耳にした時に、

心を動かされることはない

などということはないのではないかということです。

スポーツ以外で、なにか数十万の人々が声を合わせて歌う、
一体どんなシチュエーションなんだろう。。

そんなことを散歩しながら思いました。

あ❗侍ジャパンを応援しましょう。
どちらの歌が宜しいでしょうか。。

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