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自分の居場所。

自分の居場所、自分の心のよりどころ、何があってもここにいればとりあえず、誰にも邪魔されず、怯えず、生きていかれるという実家的な住処。
そういうものをいつも求めていたような気がする。
子供の頃は半分動物的なので、当然それは親と住む実家だったわけだが、大人になり、就職し、アパートなんかで暮らし始め、その自由さや時には孤独を楽しみ、若者特有の根無草的な生活に新鮮さや可能性を感じ大いに満足していたものだ。
バブル全盛期。怖いものもなかったし未来はいつもわくわくが詰まっていた。

けれど、
小さな失敗を繰り返し、いつの間にか学ぶのだ。

仕事や暮らしにだんだんと背負うものが増えてきた頃から、この根無草的な暮らしをいつまで続けるのだろうと、ふっと思うことが増えてきた。
結婚したら家を建てるんだとか、田舎に帰ればずっと実家というものが変わらずにそこに存在するとか。そんな根っこが感じられている間は根無草でよかったのだ。つまり家族や家族に類する何かに依存して生きている間は。

そしてだんだんと心の平安が保てなくなってくると同時に迫ってくる社会の責任(簡単に言うと納税とか。)の大きさに辛くて泣きそうになることがあったのだ。

仕事は、一生懸命やってきたのでお給料は中途半端によかったから支払う税額も中途半端に大きかった。もっと平均以下の額であれば税額も気にならない額であったはず。ある日突然、天引きされる税額の大きさにハッとする。
お金がないわけじゃないのに、自転車操業のように背負った何もかもを下ろせないやめられない日々を繰り返していくことになるのだ。

仕事は嫌いではなかった。でも、自分に嘘をつかないでいられるかというとそんなことは全然なく。むしろこの自転車操業を止めないためには嘘をつき続けるしかないぞ。という気持ちが蔓延していたと思う。
夢ややりたいことを追いかけてレールを外れていく人を何人も見送くることになったけど、何も感じなかった。自分は、まだその時じゃない。そう思っていたような気がする。

お気に入りの縁側デッキ

そしてその時はある日突然、やってきた。
自分だけの自由な場所を自分の手で作ろう。
自分の力で手に入れよう。自分の手で叶えよう。そう決心する。
そのために働き、お金を貯めながら、どういう場所で、どんな暮らしをしたいか、1番好きなことは何か、最後はどうやって死んでいきたいか。
そういうことをずっとずっと考えながら、文句も言わず働き、率先して面倒な仕事を引き受け、傷つき心を無くし、それでもいつかは挽回できると。

最初の第一歩の夢が現実化した今は少し新生活ブルーだ。
狭いせまーいアパートの一室では、手の届く範囲になんでも見渡せるものがあったので寂しさを感じたことはなかった。
今は広ーい(それでも普通のファミリーの一軒家よりはうんと狭いのだが)リビングの隅にぽつねんと一人。孤独の風呂敷を広げた感じだ。

いつか、ここを訪れる人にとっても心地いい場所になれば良いな。


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