QE2・航海記、その6 食事中の会話・日本人と中国人などなど
1997/8/23 ライン随想録 スイス・バーゼルレポートより
随想録
乗船後3日目になり、プリンセス・グリルの食事のときにお仲間をさそって、大きなグループで夕食をともにしようと思い始めた。
たまたま、AFSの同じ年にアメリカに行っていたドイツ人がバーゼルの製薬会社・ノバルティスに勤めているという。
わたしもバーゼルに住んでおり、グリルもプリンセス・グリルで同じということで、夕食を彼のアメリカ人の奥様とともにご一緒しようという事になった。
夕食の前、アペリティフを飲んでいると、ベルギー人のカップルもジョインしたいという。
6人で、席に就くと、今度は、英国人とフランス人のカップルが仲間にいれてくれと入って来て、8人の大テーブルになった。
ベルギー人がアペリティフを払ったので、ドイツ人とわたしが白と赤のワインを一本づつ提供した。
例のベルギー人が建築家でなんども、日本に行った事があるという。
「ときに、日本人と中国人はお互いに言葉が通ずるのかね」
「日本語と中国語は、ちょうど、フランス語と英語のように、そのまま話してもお互いに理解できない。
ただ、日本人は中国から漢字をならっているので、漢字を中国人の前で、書けば、筆談でかなり理解することができる」
「漢字は日本と中国で違った発展をしているのではないか」
「たしかに、中国では漢字の簡略化をすすめたので、若干違いが出ている」
「中国人と日本人はお互いの国の新聞をよめるのか」
「7-8割かた、大意はつかめる」
香港返還直後であったので、みな、中国に関心があるらしい。
それに、中国と日本の関係にも興味があるようだ。
「それについて、面白い話がある」と、わたしが切り出した。
中国人がそんなロジックで賠償金など払うかねえ、と一同大爆笑となった。
「それにしても、香港のひとは中国返還後、いままでの自由が保障されるか不安だろうね」とベルギー人。
「たしかに、返還後いろいろ制約がでてこようが、香港で過去百年以上自由を享受できていたのが、本土の目からは贅沢と写ったのかもしれない。
これからある程度中国本土並みになっていくのは、仕方がない点もあるのでは」
「それでもいちど、享受した自由の味はなかなかわすれられない。
いろいろ摩擦がおきてくるのではないか」
「でも、香港の中国化ではなく、中国の香港化ということは、考えられないのかね」と、イギリス人。
「10億もの中国人がそう簡単に変わるものとは考えられない」
「ときに、日本人はアジアで、どういう役割を果たしてくれるのかね」
「イギリス人はちょうど、イギリスが欧州とアメリカの橋渡しをしているように、日本もアジアとアメリカの橋渡しをしたらどうかと、言っているようだね」と、わたし。
「でも本当に、日本人は中国人と親しくつきあっていけるのかね。生活のレベルもかなり違うし」とドイツ人。
「ドイツでは東西ドイツの統一時に同じドイツ語をはなしながらも、かなり摩擦が起きた。」
「でも日本人の多くは、過去2千年、3千年の中国とのつきあいを通じて、基本的には中国文化に理解と敬意をもっているのではないか。
たとえば、漢方薬、針灸、指圧などの東洋医学は西洋医学が入ってきた後も根強い人気を得ているし、太極拳、などの運動も日本人の間に人気が出ている」と言った。
夕食では、ワインと話とか、、ニューヨークでの予定、休暇の過ごし方、QE2の印象などが、話題に上ったが、この船は巧みな環境作りで「英国のいわゆる階級社会」を再現しているのではないかということを言い出す人がいた。
「たしかに、むかしの船旅と違って、パブリック・スペースはどの等級のひとも共通に利用できる。
デッキに出ようと、ラウンジに出ようと、パブに行こうと自由だ。
しかし、エレベーターの運行がすべてのフロアーに平等に止まるというのではなく、下の等級のひとが、上のデッキに行きにくいようなしくみになっている。」
「たしかに、食堂は等級、値段により厳格に区別されているのはしかたがないとしても、船長主催パーティーも一日目は上級船客向け、二日目はその他の船客向けと別れている。
ウエイターの質も違うようだ。
ただ、それが、さりげなく価格により区別されているので、違和感を感じない人が多い。」
「でも、それはQE2だけでなく、ロンドンやニューヨークのホテル、いやどこでも同じではないか」、ということで、この話はお開きになった。
最後に、国籍・言語が違うひと同士で結婚しているカップルは、家でどの言葉を使っているかというのも、興味のある話題である。
ドイツ人とアメリカ人のカップルではドイツに住むときはドイツ語、アメリカに住むときは、アメリカ語(英語)になり勝ちという。
ただし、喧嘩になるときは相手を言い負かすため母国語になるという。
これは、ゴルフでも当てはまり、ミスをしたときには誰でも「こん畜生!」に相当する母国語を叫んでいる。
プリンセス・グリルの食事でも、皆が聞いているときには、英語を話しているが、となりの人と私語を交わすときには、二人の共通言語、フランス語とか、ドイツ語、日本語となる。
英語が堪能なひとが、となりにすわれば日本語しか話せない人でも楽に会話が楽しめると思う。
「ただ今回のQE2のひとつの楽しみは、みながかなり英語、アメリカ語を話すので見知らぬひとに話し掛けるときに、言葉に気を遣わなくても良いという事ですね」というと、「そうだ、そうだ」とみな賛成してくれた。
ヨーロッパ大陸諸国ではそうではない。誰が、どの言葉をどの程度はなすかを常に把握しておかなければならない。
「結局、言葉の面でも、制度の面でもいわゆるグローバル・スタンダードができるようになるのは、まだまだ先の事になりそうだが、それまで共通の経験を持つもの同志が力を合わせて、なんとか協力していこう」と、べルギー人がとりまとめて、ディナーが終わりとなった。
老齢プログラマの所感
アヘン戦争 によって、清朝 からイギリスに割譲された香港の返還が1997年7月1日であり、このクルーズはその翌月だったのですね。
我々の世代にとって香港の返還は、歴史的な出来事でした。
世界中が香港や中国に関心を持っていました。
井浦さんがいるので、話題が中国と日本の関係になったのでしょう。
当時の中国はGDPは小さく、今の中国とは全く違う国でした。
現在の我々は「香港が中国化された」と知っています。
しかし、当時は「中国の香港化」と言う期待もありました。
この航海では、見知らぬひとに話し掛けるということが普通にできる独特の雰囲気があって、いいですね。
相手が同じ経験をした人たちで、何者か知らないことを不安に思う必要がありません。
その共通語が英語なのですね。
補足
上の記事は1997年頃の「ライン随想録(井浦幸雄さん)」の復刻版です。
当時、私の故郷の住職の遺作「おふくろの味」を井浦さんがWebに載せて下さり、今は住職の息子によって公開されています。
当時、このようにお世話になったことを思い出し、復刻していました。
ある日突然、「ライン随想録」の目次が検索で見つかるようになりました。
しかし、ここから記事へのリンクが途切れています。
これが理由で、今まで検索しても表示されなかったのかもしれません。
そのため、復刻作業は今までどおり続けることにします。
【ライン随想録】
ライン随想録 QE2航海記・その6 食事と会話(本記事)
ライン随想録 QE2航海記・その5 スコティッシュ・キッパー
ライン随想録 QE2航海記・その4 QE号・カラオケ大会は大盛況
ライン随想録 観光立国・ニッポン
ライン随想録 ロンドン・ヒースロー空港
ライン随想録 QE2航海記・その3、豪華船のあらましと船上セミナー
ライン随想録 QE2航海記- その2(大西洋上およびスイスから)
ライン随想録 クイーン・エリザベス二世号航海記- その1
ライン随想録 内なる国際化
ライン随想録 欧州人の休暇の取り方
ライン随想録 欧州盆栽事情
ライン随想録 ビジ・カジ
ライン随想録 旅行、お好きですか?
ライン随想録 たまごっち パート2
ライン随想録 結婚まえの同居
ライン随想録 外国語学習と日本人
ライン随想録 イギリス人とフランス人
ライン随想録 ちかごろ・みやこではやるものータマゴッチ
ライン随想録 最後の授業
ライン随想録 海外日本食事情
ライン随想録 荷物なくしたことありませんか
ライン随想録 フランス・リモージュ地域
ライン随想録 駅前・放置自転車
ライン随想録 インターネットと私(その3)ブラウザー
ライン随想録 インターネットと私(その2)電子メール
ライン随想録 インターネットと私(その1)概況
ライン随想録 ヨーデルテープありますか
ライン随想録 危ない目にあったことありますか
ライン随想録 スイス・ドイツ語
ライン随想録 人の行く裏に道あり花の山
ライン随想録 円高はこわくない
ライン随想録 規制緩和本当にお好みですか
ライン随想録 中世都市バーゼルの路面電車
ライン随想録 エジプト旅行と体調
ライン随想録 ごみ処理とリサイクル