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ライン随想録 金融・意識改革

1997/11/30 ライン随想録・スイス・バーゼルレポートより

随想録

はじめに、以下の随想は井浦個人の考察であり、勤務先の国際決済銀行の見解を示すものでは ないことをお断りしておきたいと思います。

97年11月に入ってからの日本の金融機関をとりまく情勢悪化はきわめて厳しいものがあっ たとだれもが認めるであろう。
70-80年間に一度、とも言うべき、大手銀行、大手証券の 破綻が表面化し、日本の金融の根幹がゆらぐような感じを多くの人が持ったに違いない。

それでは、なぜこのような事態になったのだろうか。
その原因はどこにあるのだろうか。これ からさき、日本の金融機関はどうなっていくのであろうか。
だれしも、不安にかられるのは不 思議ではない。

結論からいって、わたしは先行きを極めて慎重に見ざるをえないが、基本的には明るくとらえ ている。
ほこりがおちついてくれば、日本の将来は捨てたものではないと思う。また、そうあ ってほしいと思う。

直接の引き金は、1980年代後半のバブル経済の後遺症が1990年代になって、企業・金融機関を直撃し、収益環境悪化、不良資産の累増を招いたことだろう。
これはかなり多くの国 でもおこったことであるが、日本の情勢がことに悪くなったのには、日本人・日本企業人に特 有の「群集心理」、あいまいな企業会計原則、経営公開(ディスクロージャー)の不徹底、監督当局の恣意性、と問題先送りの態度が、複雑に入り組んだためであろう。

「赤信号、みんなで渡れば恐くない」。
1980年代の後半には、やや危険と知りつつも、ほ かの人も走っているという理由から、不動産貸し出しの急速な増加、総会屋に対する利益提供、大口投資家にたいする損失補填などに走った金融機関も多かったろう。
宗教が歯止めにな らない日本では、こうした流れに掉さすような人は企業内でも疎まれる存在であったろう。
こ うした流れに、はっきりと「ノー」といった人は、企業内で多分昇進をあきらめなければなら なかったに違いない。

多くの人が認めているように、日本企業・銀行の会計・経理はかなり、恣意性を残すものにな っている。
たとえば、銀行の不良資産の認定は明文化されて、だれもがその99パーセントま で、客観的に区分できるものとはなっておらず、銀行監督当局の査定に委ねられている部分が かなりある。
こうしたことが、企業・金融機関の経営をガラス張りにすることを困難にし、外 部からのチェックを困難にしてしまった。
監督当局も財政収入への配慮などから、問題を先送 りにし、困難に直面するのをいつも避けてきた。

日本経済・社会に浸透したこうした曖昧さ、不透明さが問題の解決を困難にし、政治面の優柔 不断さ、官僚の恣意的な問題先送りを助長してきたのではないだろうか。
若干の体力が残って いたときには、監督当局からの慫慂によって、他の金融機関を救済するような銀行・証券もあったであろう。
自分のレイティング・格付けがこうした救済によって、急速に引き下げられる のを目の当たりにして、ひとを救うよりは自分の身をただすのは当然と考えるようになったの は、自然なことと思う。

97年秋に大型の金融機関破綻が集中したのは、こうした問題先送りが限界に来たためであろ う。
市場での資金調達が不可能になった金融機関は業務をつづけることはできない。
市場が雑草を間引く(weeding out)ように淘汰が進んでいくのであろう。
これから先もほっておけ ば、金融サービスの需給がバランスするまで、市場の力でこうしたプロセスが進むのは目に見 えている。
いいかえれば、多すぎる金融機関が淘汰され、あまり少ないと消費者が不便を感ず るまで、減っていくのかもしれない。
それがお好みでなければ、国民は政治を動かして公的資金の投入なりを行って救済の道をえらぶか、選択を迫られるであろう。

それにしても長い間、日本の金融機関はぬるま湯に浸って、自分の力を磨くことを怠ってき た。
自分から競争を制限するように求め、それを役所も唯々諾々として保護してきたのであろ う。
ビッグバンが始まる前から、そのはなしが出るだけで、金融機関の破綻が続出するのはいかにも、皮肉な現象である。
日本では預金者・投資家も自分の頭で物を考えることはせず、結局は国が預金を保護してくれるものとして、甘え、金融機関も外国からの日本への進出を国が 制限してくれるものと期待するのでは、たくましい筋肉質の経営が育つ環境にはない。
誰をMOF(大蔵省)担当にするか、総会屋、大口投資家にはいかに優遇措置を与えるかなどばかり考えていたのでは、生き馬の目を抜くような、修羅場としての、国際的な金融の戦場では、出ていく前から、勝負が付いているようなものである。

今年の春、東京に帰ったとき、東京の金融市場では、ガイジンの金融機関が自由・対等に活動できる、いわゆる「ウィンブルドン・テニス方式」(ここでは地元イギリスはほとんど勝て ず、ドイツ・アメリカばかりが勝つ)にするか、「J-リーグ・サッカー方式」(ここではガイ ジンに枠がある)にするか、みなが真剣に議論していた。
これが、FREE,FAIR,GL OBALを唱える人が議論するはなしであろうかと、いささかあきれて聞いていたが、その結 論を待つまでもなく、市場の力により、方向づけが示されてしまった。
大声で保護を求めてきた、金融機関が破綻によりひとつ、ふたつと消え失せてていっているのである。

わたしは日本の国外で日本以外の金融機関で活躍している日本人のディーラー、幹部職員を 多々知っている。
また、日本国外でしたたかに収益をあげている日系の金融機関を多く見て来ている。
ひ弱な日本の金融機関が日本で、かなり淘汰されたとしても、青い目のガイジンとともに、百戦錬磨のこうした黒い目のガイジンが日本のマーケットを注目していることも事実で ある。
かれらは、グローバル・スタンダードで生きてきた。
東京のマーケットがすべてのガイジンを対等に受け入れるタイミングを熱い視線で眺めているに違いない。

明治大学の教授になっている友人に黒田晃生さんという人がいる。
このひとは、「日本のにわとりと、東南アジアのにわとり」というはなしをしておられた。
日本のにわとりは、危険もなく、えさも与えられるので、ただ地面を歩き回っているだけであるが、東南アジアの熱帯雨林 の同じにわとりは、野生動物にいつも命をねらわれ、食べ物も自分で確保しなければならない ので、たかだかと木から木へと飛びまわるという。

保護でぬくぬくとしていたものはこの厳しい国際的な競争社会で生き延びていかれない。
自動 車産業、エレクトロニクス産業では日本の企業は長い間きびしい競争にさらされ、ここで勝ち残ってきた。
余分なものにコストを掛け、役所にゴマをすり、保護だけを求めてきた金融機関 は日本には決していないことを期待している。
こうした金融機関がこの荒波が押し寄せる国際的な激動の時代に生き延びていかれず、たちまち困難に直面するだろうことは、誰の目にも明 らかであろう。
これは国外だけでなく、国内の金融経営でもまもなく同じことになるであろ う。
私にはいくつかの日本の金融機関がたくましく、将来、青空に向けてはばたこうとしているのが目に見えている。
将来を明るく見ているのは、まさにこうした金融機関に期待を寄せて いるためである。

老齢プログラマの所感

当時、度々「金融ビッグバン」という言葉を聞いたことを覚えています。
橋本首相の「火だるま改革」のポスターが思い出されます。
銀行が相次ぐ合併で、破綻したところもあるほど激変でした。
太陽銀行に入行した同級生が、引退するときは三井住友でした。

IT分野にいた私は、どこか他人事のようで、自分には関係ない話でした。
この頃は、お金とは何か疑問に思うことはあれど、それ以上は知らないまま何もしていませんでした。

その数年後には、電子マネー決済を担当することになり、「お金とは」に関心が深まり、皆さんの前でお金について説明するまでなるとは思いもよらないことでした。
今では、当時の政策担当者のお金や金融に対する理解不足や、誤解が、失われた30年と言われるその後の日本を停滞させたものと理解しています。

補足

上の記事は1997年頃の「ライン随想録(井浦幸雄さん)」の復刻版です。
当時、私の故郷の住職の遺作「おふくろの味」を井浦さんがWebに載せて下さり、今は住職の息子によって公開されています。
当時、このようにお世話になったことを思い出し、復刻していました。

ある日突然、「ライン随想録」の目次が検索で見つかるようになりました。
しかし、ここから記事へのリンクが途切れています。
これが理由で、今まで検索しても表示されなかったのかもしれません。
そのため、復刻作業は今までどおり続けることにします。


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