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ライン随想録 最後の授業

ライン随想録 1996/12/22 井浦幸雄

随想録

たしか小学校のころであったか、日本の教科書に「最後の授業」という話が載っていたのを覚えている。
間違っていたら、お教えいただきたいのですが、アルフォンス・ドーデという、フランスの作家の話で、フランス・ストラスブールの小学校のことと記憶している。
ピーター少年が遅刻して、学校にいくと、周りの悪童どもが、いつもとは異なり、神妙に、 しずかにしている。
先生が口を開き、「フランス語での授業は今日までで、明日からは、占領軍であるドイツの国の言葉、ドイツ語で授業が行われる」 と説明した。

これを、読んだとき、 同じようなことが、日本でも起こったら、胸もつぶれるような大きな事件であろうな、と強く感じた。
ストラスブールの近く、スイス・バーゼルに住んで8年たつが、今では、最後の授業の舞台であるアルザス地方は昔から、フランス語とドイツ語のバイリンガル地域であることがわかってきた。
ピーター少年は、それまでフランス語で学校の授業を受けてはいたが、家に帰れば、アルザシアン、すなはち、ドイツ語の方言の様なものを話していたのである。
学校の授業がドイツ語になっても、ほとんどの生徒は、あまり、違和感を感じなかったに違いない。
アルザスの町、 都市にはドイツ語的ななまえの様なものが多い。
ナポレオンも、アルザス人とは、ドイツ語をはなす、フランス人と言っていたようである。
ドーデはフランスのナショナリズムを高揚させるため、これを悲劇としてことさら、強調したふしがある。

同じ職場に、ムッシュウモンジェニーという、金・為替の専門家がいた。
今は、もうリタイアーし、年金生活に入っているが、彼は、ストラスブールの出身である。
彼は現役時代、日本に行く機会があった。
「ミスター・井浦、京都で、ガイドつきツアーに参加したのですが、そのガイドが、日本はアメリカ軍が占領軍として日本にくるまで、約2000年の間、いちども、外国に支配されたことはなかった、と言っていたが、それは本当ですか。
アルザスは過去約100年の間に、三回も国籍が代わっている。
グラナダのアラブ支配ですとか、イギリスのノルマン人支配とか、ヨーロッパの歴史は、異民族、異国民による支配を何度も、くりかえし経験している。
同じ事が、アジアとか、日本でも、あったのではないですか?」

日本が長い歴史の過程で異民族、 異国民の支配を受けなかった事は、幸せなことであったような気もする。
また、 もし蒙古襲来が成功したり、キリスト教の信仰が弾圧されずに、日本人のほとんどが、キリスト教に帰依したりしていたら、いまの日本はどのように変わっていたか、想像してみたらどうであろうか。

ヨーロッパ各地の言語、 文化の融合をあちこちでみると、 異民族、 異国民による支配はただ単に、ネガティブな側面だけでなく、あらたな思考の創造とか、あらたな生活様式の創造とか、刺激をうみだす側面があるようである。
また、その国の旧体制を一掃してしまうため、それまで、押さえつけられていた若い、 新しいエネルギーが生み出されるといった、 要素もあるらしい。
それは、ちょうど、第二次大戦後に、占領軍による、 公職追放がおこなわれ、多くの大企業で突然、 課長クラスのひとが、 トップの座に就くということが、あちこちで起こったということである。
戦後の日本の経済成長はこのような、エネルギーが支えたもののようだ。

アルザス地方は、ドイツとフランスの言語・文化の融合がみられる地域である。
過去の戦禍を踏まえ、ストラスブールにヨーロッパ議会がおかれているのも、故無しとしない。
ストラスプールから、 国境をこえ、多くのアルザシアンがより就職の機会の多いドイツ側に働きに行っており、歓迎されている。
また、 アルザスはフランスの中でもとりわけ、日本からの、企業進出をかなり暖かく、迎えているようだ。
町を歩いていても、 まちのひとから、声をかけられ、これこれの日本企業がきているのをおまえは、知っているか、などと問い掛けられる。
ドイツ・フランスの狭間で、いろいろ苦労したため、異質のものに、優しくなったのであろうか。

ストラスブールとバーゼルの中間に、コルマールという、アルザスの京都といわれる町がある。
アルザス・ワインの集積地でコロンバージュという、黒い木組みと白いしっくいの町並みが美しいところである。
あるとき、 そこの商店街で生牡蠣をこじあけるナイフを買う事にし、ある刃物店に入っていった。
ドイツ製とフランス製の二つがあるという。 ドイツ製は幅25cmくらい、 黒塗りの柄がついており、いかにも、 堅牢そうである。 牡蠣を開けるには、このように、がっちりしたほうがいいかなとも考えた。
フランス製はとみると、 幅1.5cmくらい、 茶いろの柄がついており、刃の部分がシャープで、牡蠣の貝柱を切るには、ドイツ製のものより、使い勝手が相当良いようであった。あれこれ考えたあげく、思い切って、二つとも買う事にした。
店の人は笑顔をうかべて、「あなたは、本当に、 インターナショナルな人ですね。」 と、 お世辞を言ってくれた。
いま、二つとも同時につかっているが、それぞれに良さがあり、いずれも、甲乙つけがたい。
本当に、二本とも買ってよかったな、と今でも思っている。

老齢プログラマの所感

日本に占領軍が来て「今日からは英語」と言われた場面を想像してしまいますが、まったく違うんですね。
外国語を学んでいると、バイリンガル、マルチリンガルはすごい努力が必要だとか、羨ましいと思っていました。
ここでは当たり前のことなのですね。
「今日からはドイツ語しか使ってはいけない」と言われても、当分は1言語になるだけなのですね。
私にとって、もう経験することはない世界のことのようです。


補足

この記事は1997年頃の「ライン随想録(井浦幸雄さん)」の復刻版です。
当時、私の故郷の「おふくろの味」を井浦さんがWebに載せて下さった。
この記事は住職の息子によって今も公開されています。
しかし、井浦さんの「ライン随想録」は今やどこにも見当たりません。
それで、当時お世話になったことを思い出し、復刻することにしました。


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