42年前の日本コンピュータ史上の大事件の教訓(前編)
1982年のIBM産業スパイ事件は日本のコンピュータ史上の大事件です。
これに相当する事件はまた形を変えて発生する可能性があります。
この時、相手国は米国とは限りません。
この事件からどのような教訓が読み取れるでしょうか。
本文の「米国」「IBM」をあなたの想定する名称に変えて本記事を読んでいただき、この事件から教訓を得ていただきたい。
事件の記録は歴史の陰に埋もれて欲しくありません。
だから公開します。
突然の事件発生
42年前の日本のコンピュータ産業の立ち上がり期、産業の今後の行方を左右する大事件があったことをご存じですか?
1982年6月23日の朝のNHKニュースと日本の主要な全国紙の夕刊(下記に添付)の一面に、日立と三菱のコンピュータ技術者の手錠を掛けられた姿が写っていました。
彼らは盗品であるアディロンダックワークブック(Adirondack Hardware Design Workbook)というIBMコンピュータ資料を受け取って、別の州に持ち出したという盗品移送幇助罪でFBIに逮捕されたのです。アディロンダックワークブックとは、IBM大型コンピュータ3081Kの技術解説書です。
なぜこんな事件がこの時起きてしまった(または起こされた)のでしょうか?
事件の経緯や背景については以下の日経クロステックの記事に詳しい説明があります。
当時、私は大型コンピューターのOS開発現場にいて、OSの一部の開発を担当していました。しかし、現場の者であっても、日米のコンピュータ産業の情報を得られる立場にはなく、事件の背景は推測するしかありませんでした。
でも、事件から20年ほど過ぎた2002年、前述の日経クロステックから、なるほどそうだったのかと納得できる事件の経緯が書いてあります。
当時、情報の共有は限られており、滅多なことは口にできないとの雰囲気がありました。私も当時のことを長く封印していました。
今になって説明しようと思うと、当時使っていた設備や機器は今はもうコンピュータ博物館でしか見られないものばかりです。
OS開発現場の人員構成、業務分担、仕様設備、開発スタイルも変わっており、それらの時代背景や作業方法の解説も加えないとわかってもらえないほど環境が変わってしまいました。
例えば、「マイクロフィッシュリーダーを使ってソースを探し、印刷に出す」って意味わかります?
これって現代のコピペ機能に相当する作業の前半部分で、当時のコピペは多くの人と設備と時間が必要な作業だったのです。
事件のその後
この事件の結果、日本の著作権法は改定され、IBMと日本のコンピュータメーカーが長く争うことになりました。
最後まで争ったのは富士通です。日立は早くから賠償金や著作権料の支払いに応じていました。
その後、日本では著作権法改正の情報が広く雑誌などで紹介され、日本のコンピュータメーカーが支払った金額の何桁か少ない金額のパソコンソフトでの事件が報道されるようになりました。
一方、日本のコンピューターメーカーが支払う金額の大きい方の状況はほとんど紹介されることもなく、著作権侵害がなくなったと判断されるまで長きにわたって支払い続けました。
この事件の本当の勝者はマイクロソフトとインテルなどのパソコンメーカーだったとのではないでしょうか。
この時、大型コンピュータの時代は終わりを迎え、ワークステーションが全盛、パソコンが実用化され始めた時代、いわゆるWintel(Windows+Intelの造語)時代の始りでした。
高価な大型コンピュータの利用を止め、安価なパソコンに変える「ダウンサイジング」ブームが1980代後半に訪れることになりました。
大型コンピュータメーカーが脅威と認識すべきは日本の大型コンピュータではなくパソコンであり、努力すべきは技術の転換だったのです。
この事件の疑問点
疑問点を整理すると、以下が挙げられます。
(1)当時のコンピュータ産業はどのような状況だったのでしょうか?
この疑問についての説明は前述の日経クロステックをお読み下さい。
記載のない以下についての回答は、後編で書きたいと思います。
(2)事件はなぜ米国で起こされたのか?
私は米国でなければならなかったと考えています。
(3)なぜ日本にいる関係者12人にまで逮捕状が出たのでしょう?
(4)なぜ著作権問題になって巨額な費用を払うことになったのでしょう?
盗品移送ほう助罪の罰金と著作権料では金額が3桁ほど違います。
(5)IBMは著作権侵害プログラムをどのように把握したのでしょうか?
著作権料はOSやファームウェアだけではなく、周辺ソフト一括です。
その費用はどのように計算されたのでしょう?
著作権侵害の立証にはコピペしたという証拠が必要です。
そのためにはプログラムのソースを見比べる必要があります。
普通、敵対する相手にソースを提供しますか?
類似部分のある全てのソフトで侵害の有無を争うことができますか?(6)IBMは著作権侵害の解消をどのように確認したのでしょうか?
著作権侵害があった部分をメーカーは書き換えました。
(6)の疑問と同様、ソースを見比べる必要があります。
誰がどうやって侵害部分がなくなったことを把握したのでしょう?
費用はいつまで払い続けたのでしょう?
(7)著作権侵害となるようなコピペはどのように行われたのでしょうか?
当時の機器は今と全く異なっており、業務分担なども今と違います。
時代背景も含めて説明しないと理解困難と思います。
この事件はそのまま歴史の陰に埋もれて欲しくありません。
しかし、誤解しそうな好奇心だけの人に知られるのもどうかと思うので、後半部分は有料記事を考えています。
こんな昔の事件の詳細を今更知ってどうなると思うもしれません。
今は衰退途上国日本ですが、かつての「沈まぬ太陽」の日本のように、「トップの座を脅かすとこのような試練が訪れる」という教訓は忘れない方が良いかと思います。
もし関心がありましたら、後編をお読みいただければと思います。
注意事項:当時の著作権法ではコンピュータプログラムが保護対象だとは書いてありませんでした。そのため、本文中では「著作権法違反」ではなく、「著作権侵害」と表現しました。
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